リング1
鈴木光司
1993年4月24日 初版発行
角川ホラー文庫
僕が「リング」に出会ったのは原作よりも、映画2の方が早かった。
僕の叔母が結婚してすぐ、団地で暮らしていた時のこと。まだ小さい僕は母に連れられてその団地に遊びに行った。2LDKの間取りの一室で、小さいブラウン管テレビを三人で半円に囲み、それは上映された。貞子が井戸から出てくるシーンは、当時ものすごい世の中で反響があったのを、子供ながらになんとなくわかっていた気がする。叔母はホラー好きであった。僕がホラー好きになったきっかけであるゲゲゲの鬼太郎を教えてくれたのはこの叔母であった。まだ小学生になりたての僕にとって、この上映会は鬼畜そのものであった。僕はとてつもない怖がりだったのである。そんな怖がりの僕を叔母は羽交い絞めにし、「リング」を無理やり見せたのである。それはまさに「時計仕掛けのオレンジ」のあのシーンそのものであった。
そんなトラウマを残して僕は学生になった。ブックオフ探検をしていた時、角川ホラー文庫のリングを見つけたのだ。思えば、リングの原作を読まずいたため、僕は原作リングの内容をよく知らずにいたのである。そのまま購入し、帰りの電車で早速読み始めた。
当時驚いたのは、映画で有名な貞子がテレビから出てくるシーンがどこにも書かれていない点である。あれは映画オリジナルの演出だったのか。また、読み方によってはかなりサスペンスよりに書かれていて、ビデオの呪いを回避するために奔走する主人公その他がかなりリアルに描かれている。その呪いの元凶、ビデオがなぜできたのかについても、筋道立てて説明がされており、それは、ハイ幽霊の仕業です~といったような投げやりな論法では決してない。きっと当時リングを読んだ読者はその現実か虚構かわからぬストーリー展開に恐怖したに違いない。
あらすじ
この映像を見た者は、一週間後のこの時間に死ぬ運命にある。死にたくなければ、今から言うことを実行せよ。すなわち……
鈴木光司 [1993] 『リング』 p92
同じ日、同じ時間に女子高生2人と、予備校に通う男子2人、計4名が心臓麻痺で死ぬ。
偶然その女子高生の1人と親縁関係にあった浅川はその謎を解くべく4人が死ぬ一週間前に宿泊していたペンションへと調査をしに行く。
そこで見つけた宿泊ノートから、当時4人がある1本のビデオを見たことを知り、浅川自身もそのビデオを鑑賞する。
そして浅川は自らに呪いがかかったことを悟り、呪いを解除するために奔走するのである。
書評
貞子という存在
増殖 増殖 増殖 増殖
鈴木光司 [1993] 『リング』 p319
生い立ち
貞子の母志津子も超能力者であった。それを起因として、彼女は伊熊との間に貞子を産む。その事に関して、3歳を超えたあたりで島をあとにした貞子がどこまで知っていたかは不明であるが、母と父を見ていた幼い貞子にとってその境遇は特殊と言わざるを得なかっただろう。マスコミに取り沙汰され世間にもてはやされる母と、マスコミから叩かれ、世間にペテン師呼ばわりされた母、この真逆の、まさに天国と地獄を味わった志津子と貞子にとって、残ったものは世間に対する深い憎しみだけだったことだろう。父である伊熊も結局は妻子持ちであり、志津子と婚姻関係にないことから、周囲の彼女たちへの風当たりの強さは、容易に想像がつく。
母志津子の自殺のあと、療養所で長尾に殺されるまで、貞子は何を思って生きていたのだろうか。劇団に入団するも、重森が貞子のアパートを襲ったのち、能力をつかって彼を殺しているが、この時の強姦が既遂か未遂かはわからない。ただ、貞子の特異な身体を見た重森が気味悪がり、とんでもない罵詈雑言を貞子に浴びせたことは間違いがないだろう。おそらく貞子はアパートをあとにした重森が、それを吹聴し、自分が劇団にいれなくなるだけでなく、また再び、世間から非難の目で見られる未来が来ることが耐えられなかったのだろう。この事件のあとすぐに、彼女は自らの能力で重森を殺し、出奔する。父母と幼いころ、テレビ局を駆けずり回っているときに、役者と知り合ったりしたことが彼女の劇団入団のきっかけであろうか、世間は、自らの身体は、呪われた能力は、役者になりたいという一縷の夢さえも彼女から奪い去ったのである。
長尾に強姦され、殺されるとき、なぜ貞子は能力を使って長尾を殺さなかったのか。これは物語でも言及はされているが、貞子はもう生きるのがつらくなったのではなかろうか。何もかも受け止め、貞子が暗い井戸の底に落とされるシーンは何とも哀しいものである。そして、この強姦の際に、長尾の天然痘が貞子の身体に入り込むのである。
醸造
そしてこれから20年以上をかけて、呪いがゆっくりと醸造されていく。
この呪いの骨子というのは、長尾から移された「天然痘ウィルス」が、貞子の身体を蝕む過程で、彼女の世間に対する恨み、特異な能力と混ざり合い、生まれたものと言える。もちろんその過程で貞子は絶命しているが、そのあとも、暗い狭い井戸の底で、じっくりと呪いが醸造されたのである。
それは「疑似科学的な能力」を手にしたウイルスであり、「爆発的な感染力」を手にした呪いと言えよう。そこにもはや貞子の意思はなく、何をもって呪いのターゲットが心臓麻痺を起こすかも不明であるが、結局は呪いを蔓延させようとする、呪い自身の意思によるものである可能性が高い。
呪いのビデオ
その呪い渦巻く井戸の真上でたまたまダビングモードになったVHSに貞子の記憶が念写されることになるが、この概念は非常に面白かった。
呪いのビデオに現れる現実と抽象。現実の時のみ現れる「黒」それは貞子のまばたきであり、彼女視点の記憶である、というアイデアは本当に秀逸である。小説版も、映画版も、ドラマ版3も、この呪いのビデオのシーンはそれだけ見ても、特に怖いものではないにもかかわらず、不気味で息苦しい感じが描かれていて、怖かった。
呪いを拡散させることだけが、呪いの魔の手から自分を守る対処法であった。このことはチェーンメールや、不幸の手紙といったものをアイデアの拠り所としているが、これらの根本原因について、それを回す人間ではなく、回される呪い側にあるとするリングの所謂「呪い論」には感服するばかりである。
事の深刻さの根拠
ねぇ、……まさか、……嘘でしょ
鈴木光司 [1993] 『リング』 p157
こういった作品を書く上で、事の深刻さをどう表現するかという点が一つの問題になると感じる。それは本作でいうと、ペンションで呪いのビデオを鑑賞し、一週間という余命先刻をされた浅川が、実際に仕事を休んで、妻に説明し、友達を巻き込んで、大々的な調査をする、ということの妥当性、必要性、とでもいうべきか。つまり、現実問題呪いのビデオを見て余命先刻をされた事実を周囲に説明する際、ちょっとでも具合を間違えると、妻には逆に心配され、友達には一笑に付され、会社では社会的信用を失墜させてしまうことになりかねない。これは創作なのだから、そんな現実的な話を持ち込むな!と怒られそうだが、この事は我々読者が作品をホラーとして楽しむ上で非常に重要な要素であると感じる。
要はそういったところの配慮も巧いのが鈴木光司なのだと思う。作中では以下のような配慮が見られる。
・実際に、心臓麻痺で4人の人間(うち一人は親族)が死んでいる事実がある。そしてその死亡日は彼らがビデオを見てからちょうど一週間後である。
・浅川が呪いのビデオを鑑賞する際に、怪奇現象が起きている。
・浅川本人も当初はこのことに疑心暗鬼である点、だんだんと呪いの存在が確信へと変わっていく過程が上手に書かれている。
・浅川がビデオの話を編集長小栗とするシーンはリアルで巧い。
・浅川が警察などの機関に捜査依頼をしない点が逆にリアルである。
現実的視点と、超自然的視点のアプローチのバランスがちょうど良いのである。
まとめ
呪いと言うのは呪われる側が呪われてたことを認識して初めて効力をもつ。今作でいうと、浅川が呪いのビデオを見た時に、彼は呪われたということを認識するのである。至極当たり前の事を書いている気がするが、呪いを語る上でこれはとても大事な概念である。それは呪われている側が呪いを意識したことで、身の回りで起きる良くないことがすべて呪いのせいであると思うようになり、すべてが負のエネルギーを帯びて良くない方向に進んでいく、ような気になる現象とでも言おうか。
誰かが呪われて死んだ場合、その死んだ側が呪いの存在について覚知していなければ、呪いで死んだなんてことは明るみに出ないのである。呪詛者も、被呪者が死んだ後でそんなことを言いふらしたりはしない。もしそのことが分かってしまうと、被呪者の死を悲しむ者に、自らも呪われてしまう可能性を秘めているからである。
要は「人を呪わば穴二つ」なのである。
あの叔母の家での出来事は今になってもはっきり覚えている。貞子の顔、そして怖くて震える僕をにやにやと見る叔母と母の顔。井戸から這い出し、テレビからも這い出した貞子は僕に確たるトラウマを植え付けた。
夜中起きてトイレに行けなくなったり、山で井戸を見つけた時にドキドキしたり、そういう思い出も、今思えば中々ノスタルジックで良い。
そして昨今、貞子は始球式に登場したり、遊園地のアトラクションに登場したりするらしい。それ自体は面白いと思うし、全然構わないのだが、僕の中の貞子はボールは投げないし、アトラクションにも出演はしない。
彼女はいつも、僕の中で絶対なる呪いの女王として君臨しているのである。
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