夏と花火と私の死体
乙一
2000年5月25日 第1刷発行
集英社文庫
乙一という小説家を知ったのはたしか、僕が男子校生であった時分、女子校生の女友達と目黒の寄生虫博物館を楽しんだその帰り道である。好きな小説の話をしたとき、彼女が教えてくれたのだ。
彼女のおすすめはGOTHと暗黒童話であった。
そのタイトルから感じる何やら黒々としたものに惹かれ、さっそく僕は乙一が読みたくなった。乙一を調べていいくうちに、彼が当時の僕と同じくらいの年齢で、小説家としてデビューを飾っていることを知り、処女作である『夏と花火と私の死体』を手に取ったわけである。タイトルに並べられた夏と花火という言葉と、私の死体という言葉のギャップが何とも奇妙である。肝要な本編に関しても、終始漂う子供の無邪気さと異常さ、それらがどこかリアルで、我々を恐怖させる。情景描写、人物の妖艶さ、語り手の斬新さなど、僕と同じ高校生が書いたものとは思えない秀逸な筆致に当時驚嘆したものである。
あらすじ
“最後に、踏み台にしていた大きな石の上に背中から落ちて、わたしは死んだ。”
乙一 [2000]『夏と花火と私の死体』p.22
物語の冒頭で、小学3年生のわたし(五月ちゃん)は同級生で友達の弥生ちゃんに殺される。
弥生ちゃんは兄である健くんと共謀し、五月ちゃんの死体を遺棄すべく共同正犯に着手する。
その過程を五月ちゃん目線で描いた作品である。
書評及び考察
死体である五月ちゃんの「モノ」感
“見開かれたままのわたしの目は、そんな二人をただ羨ましそうに見つめていた。”
乙一 [2000]『夏と花火と私の死体』p.24
生と死はスイッチのオンとオフの様に、明瞭とした違いを我々に突きつける。
さっきまで元気に飛んでいた蝶が、死んでしまうとそこには静だけが存在する。
死んだ五月ちゃんに対してする健くんと弥生ちゃんの言動は明らかにモノに対してするそれである。そしてその仔細の客体である死体本体が語っているからこれまた奇妙ときたものである。幼い子供の語り口で心証や状況がありありと展開されていて、怖い。
弥生ちゃんについて
“健くんは目線を弥生ちゃんと同じ高さまでもってきて、子供を諭すように言った。その表情は優しく、弥生ちゃんの頬が見る間に赤く染まっていった。”
乙一 [2000]『夏と花火と私の死体』p.36
彼女はお兄ちゃんのことが好きなのだろうか。
少し遅い、エディプスコンプレックス(兄妹バージョン)の様なノリなのではなかろうか。時代背景、閉鎖的な舞台を鑑みて、アイスとテレビぐらいしか娯楽のない世界に於ける兄という存在が、とても素敵に見えただけなのではなかろうか。
彼女が五月ちゃんを殺した動機は、大好きなお兄ちゃんを取られると思った、とするのがしっくりきそうである。何よりその幼稚さ、短絡さが、この物語の重要な要素になっていることは疑いない。
物語の最後で、全てを知った彼女が、緑さんに対抗するには、彼女はあまりにも非力である。
健くんについて
“そうだ、五月ちゃんを隠そう!”
乙一 [2000]『夏と花火と私の死体』p.24
死体遺棄を執り行う彼らの認識には、以下の点で食い違いがある。
弥生ちゃんは五月ちゃんを殺したことを健くんに秘している。
健くんは五月ちゃんが死んだことを事故だと思っている。
死体を隠すことを犯罪だと思っていないのか、それとも本当にゲームの様なものだと考えているのか、彼はこの死体遺棄を始終楽しんでいる節がある。これには殺人の正犯である弥生ちゃんはドキドキである。
彼は緑さんに恋をしつつも、この犯罪の一部始終で彼女のことをどこかライバル視している節があるのではなかろうか。自室にて緑さんとの対峙の際、問答の果てに寸毫のところで五月ちゃんを発見されそうになるも、アイスコーヒーぶっかけ作戦にてそれを回避する。彼はしてやったと思ったことであろう。そして、この美しい女も大したことはない、自分の方が賢いのだと欣喜雀躍したに違いない。
そもそも、この時にはすでに彼らの勝負はついていたのかも知れないが。
緑さんの考察
“健くん、あなたも気をつけなさいね。可愛いから誘拐されちゃうよ。”
乙一 [2000]『夏と花火と私の死体』p.15
アイス工場に勤めていて、純白の白い肌に純白の服を纏い、腰まである長い髪を靡かせ、笑みを浮かべる村一番の美人さん。これが彼女に対する第一印象である。兄妹による犯罪行為が先行して、この時には彼女の残忍性を感じ得ずにいた。そのギャップも言わずもがな恐怖を駆り立てる。
失恋は女を変える。
この村で過ごした過去を持つ彼女は、近所の男の子に恋をした。しかしその恋は実らなかった。彼女の心に沈み込んだドス黒い闇は、これから彼女を魔性の女へと変貌させる。その魅力は底知れず、村の暴犬66を手懐けるほどだ。そんな彼女の魅惑の陥穽に、健くんはズブズブとはまっていく。
また、緑さんの父は失踪し、母から虐待を受けていた、という事実も見過ごせない。父の失踪を皮切りに、失恋を経験し、絶望の中でどんどん「女」になっていく緑さんに対して、やるせなさ、嫉妬に狂った母親が暴力を振るう、という、僕の妄想は膨れ上がる。
次に、彼女が犯した幼児連続殺人の動機を考える。
失恋の果てに好きになった男の子が忘れられず、その面影を男の子に重ね、もう二度と自分から離れないように、凍らして、冷凍庫に保存した。
そもそも彼女の初恋の相手は生きていればきっと、年齢は20前後であるはず。この小さな村に於いて、そんな彼の情報が明確に語られないのはおかしい。この村の住民の記憶が曖昧になっている点、含みがあって興味深い。
当初は、健くんも彼女のターゲットにされてたに違いない。しかし、もう健くんが殺されることはないだろう。なぜなら、彼らは秘密を共有することによって、運命共同体になり、お互いに、お互いから逃げることができなくなったのであるから。
かごめかごめについて
“わたしは緑さんに連れられて、この寒い所にやって来ました”
乙一 [2000]『夏と花火と私の死体』p.142
アイスクリーム工場の冷凍設備付きの倉庫では、時をこえて出会った6人の鳥が、籠の中で終わることのないかごめかごめをしている。ひょっとしたら、五月ちゃんがが殺されたことで、健くんはこのメンバーに入らなくて済んだのかもしれない。想像すると非常に怖い。
まとめ
夏というのは臭いが気になる季節である。
シャワーを浴びてもすぐに噴き出す汗、常温で半日もすれば糸を引く煮物、焚かれ続ける蚊取り線香。それらは夏特有の臭いを放ち、我々の鼻腔を刺激する。この作品には終始、そんな夏の香りに交じって五月ちゃんの死体の香りがするような気がするのだ。そんな臭いが充満する世界で、まだ幼い兄妹が友達を隠そうとするのが、とても怖いのである。
子供の頃、茹だるような夏の昼下がり、知り合いの家の蔵を探検していた時のことである。
僕は異常な臭気を感じた。蔵に入った途端に鼻腔を襲い、蔵全体がその臭気に淀んでいた。それは凡そ臭いと言ったものではなく、卒倒を促す悍ましきものであった。その根源を突き詰めるべく検索を繰り返し、木箱のようなものをどかした時、その原因は姿を現した。
それは、たった一匹の小さな鼠の腐敗した死骸であった。
だから五月ちゃんが冷凍庫で保存されてい事を知って、どこかホッとする自分がいたりいなかったりするのである。
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