押入れのウーリー 呪みちる作品第2集
呪みちる
2001年11月28日 初版発行1
ソフトマジック(マジカルミステリーホラー)
中野ブロードウェイのショーケースにこの作品をみた。
帯には「ホラー漫画界の錬金術師」と記載され、やけに高い値札が貼られていた。間違っていたら申し訳ないが、7000円くらいであったと記憶している。当時学生だった僕は、ホラー漫画好きを公言していたにもかかわらずこの作者を知らなかったのである。これはまずいと、なけなしのお金をはたいて、購入した。おかげで次の日からしばらくお昼ご飯が学食のかけうどんになったのは良い思い出である。なんでもかんでも値上がりする昨今、巷の大学の学食の値段はどうなっているのか。学生諸君にはお金に困ったらかけうどんを食べることを勧める。とっぴんぐに揚げ玉などがあればたくさんかけるとなお良い。
表題作「押入れのウーリー」が第一話に収録されている。この作品を読んだときに、なぜ自分はこんな素晴らしい漫画家のことを今まで知らずにいたのか、と悔やむほどに面白かった。彼も、楳図かずおや伊藤潤二と同じく、描く女性が美しい。ホラー漫画における美と醜は常に表裏一体であることを思い知った。所謂虫愛でる姫であるルイーズは非常に美しく妖艶で、にもかかわらず芋虫と絡み合っているのである。そのギャップがたまらなく、僕はすぐに呪みちるのファンになってしまったのだ。
書評
押入れのウーリー
そいつは巨大な芋虫の姿をしていました
呪みちる [2001] 『押入れのウーリー 呪みちる作品第2集』 p.8
ところが妻はその怪物を…
あろうことかベッドに招き入れ声を上げるんです
ルイーズに共感するところがある。
僕も子供の頃は芋虫が大好きだった。庭のキンカンの木にナミアゲハの幼虫がたくさんいて、よく捕まえて可愛がっていた。目を思わせる模様、一匹一匹、個体によってその顔は異なっていて、彼らにも個性があることを知った。そして頭部を指先でツンツンすると、黄色の触覚を出し独特な臭いが漂う。身体はぷにょぷにょとしていて、その柔らかさが癖になっていた。小さい頭で一生懸命葉っぱを食べる姿が好きでたまらなかった。虫かごに入れて家の中に持ち込みずっと眺めていたものだ。
この作品は戦場にて巨大な戦車に襲われひどい目にあう男の話であるが、妻のしていた芋虫の妄想が夫の夢見に現れるところが面白い。それはルイーズに嫉妬した芋虫の故意による所業かどうかは不明であるが、ルイーズの芋虫との蜜月で芋虫恐怖症になったウェスタースが目の前に立ちはだかる巨大な戦車と対峙する場面は間違いなく名シーンであろう。
小さなころから芋虫が大好きだったルイーズだが、蛹化とともに訪れる彼らとのお別れのあと、芋虫の妄想をするようになる。彼女が妄想で生み出した芋虫は意思を持ち始める。しかしこの意思とは、ルイーズのそれではなかろうか。最終的に芋虫のような姿になった夫と、何があっても離れないと彼女が決心したこと、それ以降芋虫の幻覚が見えなくなったことを鑑みると、すべてルイーズが望んだことでもあると言える。これで彼女は心置きなく夫をゆっくりと愛することができるであろう。
ジグ・ザグ・ボックス
私はこの未だ実際に見た者もない幻の術を現代に復活させんと
呪みちる [2001] 『押入れのウーリー 呪みちる作品第2集』 p.48
長年研究と努力を重ねてきたのです。
どんなにすごい手品でも、そのタネを知ってしまうと案外くだらないものであるが、そこを気づかせまいとする手品師の手腕や意識は見事と言わざるおえない。
この作品はつまり、手品で人を消すことができる手品師と世の中を嘆き自殺願望がある女の子が出会ってしまったということなのだろう。手品師はヒンズーロープなる手品を披露し女の子はロープを握りどんどん登っていくが次の瞬間落下してしまう。手品師たちには彼女が人形に見えていたが、実際には飛び降り自殺をしてしまった女の子の死体が散らばる。これは正確に言うと手品師たちが見た世界ではなくて、女の子の主観的な世界でのできごとであると考える。なぜなら、彼女はこの手品師はなんでも簡単に消すことができると信じて疑わなかったからである。実際に飛び降りる勇気がでなかった彼女を「ヒンズーロープ」という手品の妄想が、自殺の幇助をしたのだ。
そう考えることで、最後によし子の目前に降りてきたロープの意味も理解できよう。
獣謳道 レディース限定
そうだ 相手は人間じゃない
呪みちる [2001] 『押入れのウーリー 呪みちる作品第2集』 p.69
空手や柔道などの格闘技は人間相手にしか通用しない、というこの作品の一節には説得力を感じる。それは理性の上で成り立っているスポーツに過ぎないという考え方であろう。本作は、そんな理性を取り払い「噛みつき」を限界まで極めることで力の弱い女性が護身術として本能を呼び醒ますという話だ。もはやそれは護身術の域を超えているが。
背徳の掟
…一緒に帰らない?
呪みちる [2001] 『押入れのウーリー 呪みちる作品第2集』 p.81
母の思い通りの娘になるよう育てられた犬丸と、正義感の強い藤井の女同士の恋を描いた綺麗なラブストーリーだ。全くホラー要素はなく、少し諧謔的な表現はあるものの、ちょっぴり感動する作品になっている。犬丸のような女性にくらっとくる女性は意外に多いのではなかろうか。
呪いの鉄仮面
お前はこれから騎士になるのだ
呪みちる [2001] 『押入れのウーリー 呪みちる作品第2集』 p.118
正義と悪は紙一重である。それは立場や見方によって正義と悪どちらにでもなるということである。戦争において戦勝国になれば英雄に、敗戦国になれば犯罪者となってしまうことが、それを如実に表しているだろう。本作は英雄と言われたポーソンの真の姿が現れたあとで、登場人物が皆呪い殺される。そしてその仮面を警察が拾い上げるシーンは、呪いの拡散を示唆している。それは「正義」という大義の名のもとに人殺しをして狂信者に堕ちた男の呪いにほかならない。この作品は「正義」を振りかざして我を通す人間が多くなった現代に対して警報をならしているのかもしれない。
暗黒深海
どうかあの水を使って
呪みちる [2001] 『押入れのウーリー 呪みちる作品第2集』 p.141
もっともっと美しくなって下さい
実際に海洋深層水にそのような効果があるか不明だが、皮膚の奇病を治すためにそれを使うというところまでは良い。問題はそのあと患者が魚化するところである。海洋深層水のイメージからこのようなプロットを生み出した呪みちるはすごい。
ところで、深海恐怖症や海洋恐怖症といわれる症状があるが、その症状をもっている人が見開きの深海魚の頁を見たらびっくり仰天するに違いない。それほどの画力とパワーがこの頁には存在する。光が届かず、真っ暗な世界。サイズ感がめちゃくちゃな奇妙な魚たち。それは恐怖そのものだろう。
夜空に消える
すばらしい旅がはじまるんだよ
呪みちる [2001] 『押入れのウーリー 呪みちる作品第2集』 p.178
プラネタリウムじゃない
本当の星空への旅が………
1960年代における米ソの宇宙開発競争、アメリカの勝利の影で宇宙に忘れ去られた宇宙船の失敗作の数々。それらの内の一隻と、病気がちで死んでしまった星野少年がシンクロし、彼の魂はその宇宙船に取り残される。そんな彼の幽体が彷徨う閉館し廃墟のようになっている科学館で、よし子は彼と出会う。素敵な恋の始まりかと思われたが、それは恐怖の始まりであった。件の宇宙船を、子供がどんどん離れていった科学館と重ねているところが秀逸である。
科学館ってまだあるのだろうか。昔東京は千代田区の科学技術館でみたオオサンショウウオの展示は。なんかとても怖かった覚えがある。「偽物」ってところがまたなんとも怖かった。
また見に行きたいな。
まとめ
実家にはまだキンカンの木は生えていると思う。
あの芋虫はまだいるのだろうか。大人になると、芋虫を捕まえて、葉っぱを食べさせて、ウンチを観察して、さなぎになって、やがて綺麗な蝶になってどこかへ飛んでいく、なんて光景は生活に微塵も存在しなくなる。芋虫が葉っぱを食べてウンチをするという当たり前のことですら子供にとっては新鮮で、うじうじと地面を這う芋虫が、あんなにも華麗に宙を舞う蝶になるなどということは、新鮮を通り越して理解ができないものである。思えば、芋虫を何時間も眺めたり、同じ本を何十回も読んだり、屋根に上ってぼーっとしたり、あの頃はそんなことの積み重ねでも毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった。大人になった今は、意味のない行動はすぐに「無駄」と言われてしまう。すべての行動に意味をもたせないといけないわけだ。そういう強迫観念にとらわれている人が僕の周りにも多いような気がする。しかし世の中も、人間がする行動も、そもそも万人にとって共通の意味などはない。それは主観的要素の強い概念であるためだ。つまり意味なんてものは本人の解釈でどうとでもなるものだ。
さて、虫かごでも買ってこようかなっと。
- 各作品の初出を下記に記述する。
「押入れのウーリー」 (「押入れのウィリー」改題)ぶんか社「恐怖の快楽」 2001年3月号
「ジグ・ザグ・ボックス」 ぶんか社「恐怖の快楽」 1999年9月号
「獣謳道 レディース限定(「狼よ目覚めよ」改題)」 笠倉出版「ミステリー・ラ・コミック」 2000年7月号
「背徳の掟」 笠倉出版「ミステリー・ラ・コミック」 1998年6月号
「呪いの鉄仮面」 リイド社「恐怖の館DX」 1998年3月号
「暗黒深海」 ぶんか社「恐怖の快楽」 2001年5月号
「夜空に消える」 秋田書店「サスペリア」 2000年9月号 ↩︎


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