【書評】玩具修理者

玩具修理者
小林泰三
1999年4月10日1 初版発行
角川書店(角川ホラー文庫)

僕は物心つく前は、玩具破壊者だったようだ。
と言うのも、プラレールをめちゃくちゃにしたり、積み木を頭からかぶったり、ウルトラマンの怪獣のソフビをばらしたりしていたらしい。よく覚えてはないが。その物に対する乱暴さや雑さが今も僕の特徴として残ってしまっているかもしれない。物に当たることはないが、物を扱うとき無意識に力を込めすぎて、壊してしまうということが少なからずあるのだ。気を付けなければ…
本作には、そんな破壊された玩具を無料で治してくれる人物がキーバーソンとして登場する。タイトルにもなっている「玩具修理者」だ。なんという良い響きだろうか。このタイトルからして大好きである。本作は、ホラーはホラーでも「ジャパニーズホラー」の要素がかなり強く香っている作品である。玩具修理者の住処である小屋の、黄ばんだ土壁、シミだらけの天井、色あせた畳の空間で繰り広げられる「施術」はまさに狂気そのものである。
本作は表題作「玩具修理者」のほか「酔歩する男」を収録している。書評としては「玩具修理者」のみ記述しようと思う。
第2回日本ホラー小説大賞短編賞受賞作品。

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目次

あらすじ

小さいころ、家の近くに、玩具修理者がいたのよ

小林泰三 [1999] 『玩具修理者』 p.8

ある男と女が喫茶店で話をしている。女は昼間はいつもサングラスをかけている。そのことをずっと不思議に思っていた男は今日こそはと女にその理由を問いかける。しかし女は開口一番「玩具修理者」なる奇妙な存在に関して話し始めた。「玩具修理者」と女のサングラスにはどのような関係があるのだろうか。

書評

もう一度聞くわ。生物と無生物の違いはわかるの?

小林泰三 [1999] 『玩具修理者』 p.38

まず、この作品は叙述トリックが使用されている。男と女の関係が恋人であると見せかけて、実は姉弟だったのだ。この「恋人」か「姉弟」という違いは物語の核たる部分に関係していて、とても重要な要素である。最初は女の話をうすら馬鹿にしたような感じで聞いている男であるが、話が進むにつれ、彼は焦燥に駆られ、やがてそれは恐怖へと変貌する。我々読者もその女の話に引き込まれ、驚愕のラストに驚くことになる。

「玩具修理者」の存在が怖いのは当たり前であるがそれに触れる前に、子供が感じる環境の怖さについて触れておく。女が幼少期に両親から受けた折檻は度を越えるものであり、近所のおばさんが女に対して、両親のことをしつこく訊いてくることからも、何か家庭に暗い問題があることは明白であるが、誰でも罰やお仕置きを親からされた経験はあるのではなかろうか。僕も幼少期の頃悪いことをすると親に叩かれたし、家に入れてもらえないこともあった。その良し悪しはさておき、家に入れてもらえない時の外の景色はどこかいつも見ている景色とは違って見えて、非常に怖かった。何が言いたいかというと、それだけ子供の感性や感覚は敏感であり、かつそのお仕置きを回避すべく「悪行をしないこと」ではなくその悪行を隠したり、訂正したりする方に力を割いたりする存在が「子供」なのである。つまり「玩具修理者」は子供たちにとってはヒーローそのものなのだ。ちなみに僕は幼少期「大人」たちから悪いことをしてひっぱたかれたことに関して「トラウマ」になっているとか「あれは愛があるからこそだね」とか「恨んでいる」とか「感謝している」などと思ってはおらず、そのことに関して特に何も考えていない。

生物だろうが無生物だろうが、その手によって治してしまう「玩具修理者」と、玩具を壊してしまって、親の叱責を逃れようとする「子供たち」には親和性があると言える。そして物語の肝として挙げられるのが、子供たちは「生物」と「無生物」の区別がいまいちついていないという点である。おもちゃのワープロが壊れたら、玩具修理者に治してもらえばいい、おもちゃのマシンガンが壊れても玩具修理者に治してもらえばいい、「猫」が壊れても、玩具修理者に治してもらえばいい、というように物語はおかしな方向に進んでいくのだ。女も実の弟を殺してしまって、玩具修理者に治してもらばいいと思った子供の一人である。そして、玩具修理者は対象物を片っ端からねじ一本、筋肉の繊維一本までバラバラにしてから意味不明な叫び声をあげて、修理に着手するのだ。子供たちの目には、バラバラにされた様々な「物体」のパーツがめちゃくちゃに混ざり合ってまた一つの「物体」になる過程が映り込んでいる。生物と無生物の境界が曖昧な子供たちにとって、その修理風景はさらにその境界をあやふやにさせることだろう。そして大人になった今でも女を含めた彼らは「生物」と「無生物」の違いはないという持論を持っているに違いない。このような流れを経て、最後の男と女の生物・無生物に関する問答の論拠に玩具修理者を起点とする女の過去が重なる点が非常に巧い。

ところで玩具修理者とは何者なのだろうか。国籍不明、年齢・性別不詳、形容し難い顔、言葉通り布を纏った姿、脂ぎった素肌、ちぐはぐな双眸…。それらに関して論ずることはこの物語の骨子にかかわりのないことであると乱暴に結論付けて、この稿を閉じる。

まとめ

僕のブログで紹介する作品は、基本的に特記していなければ、再読してその書評を書いている。今回「玩具修理者」を再読したとき、初読が10年以上前ということもあり、正直中身はよく覚えていなかった。しかしよく覚えていない自分の脳髄に感謝するくらいにはこの作品を楽しめたと思う。まあそれはこの作品にだけ言えることではないのだが、二度読み三度読みというのは忘れた頃にするのが良いなとしみじみ思ったわけである。本作はグロ描写が多めではあるが、所謂「ただのグロ」作品では決してない。むしろ美しささえも感じてしまう筆致である。そしてセリフ回しも好きである。より話し言葉に近い登場人物のリアルなセリフ、急に飛び出す汚いセリフ、意味不明なセリフが交じり合うことで、作品は奇妙な求心力を帯びる。それは小林泰三の手腕によるものだと改めて感じる。またほかの作品も紹介できたらなと思う。

幼少期、近所に玩具修理者がいたら、プラレールと積み木と怪獣のソフビで変なおもちゃを作ってもらいたかったなっと。


  1. 初出は角川書店より「玩具修理者」1996年4月25日 初版発行 ↩︎
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