6
梨
2023年6月23日 初 版発行
株式会社玄光社
昨今のホラーブームは破竹の勢いである。2010年代後半から続く怪談の隆盛は多くの怪談師を世に生み出し、彼らが語る実話怪談はYouTubeを席巻した。その影響か、Twitter(現X)やnote、カクヨムというWebプラットフォームにおいて個人によるホラー作品の投稿、書籍化の波は「実話怪談」と言うジャンルを確たるものとしていった。そしてそこから派生される「モキュメンタリー」というフィクションとノンフィクションの合いの子のようなジャンルが台頭したことは、もはや世間の常識であるだろう。僕も大好きである。
動画生成AIの台頭も「ホラー」拡大の担い手となっている。海外ではdreamcoreという夢かどこかで見たことのあるような懐古的で不安になるような怖い動画が流行っていて、ディープラーニングから生成されそれは正にAIが見た夢であり、そのコンセプトとマッチしている。また「恐怖心展」や「ホラーに触れる展」「1999展」など、ホラー展示の増加もホラーブームの加速に寄与してると言える。
今回はそんな「恐怖心展」のクリエイターとして、ネット怪談作家として有名である梨の作品「6」について書きたいと思う。僕が初めて読んだ梨作品である。
この作品は一応最終話にて種明かしがなされるのだがそこに行きつくまで、抽象的で相互に関連のないと思われる短編が続く為、中々難読であると感じた。また、その種明かしである程度納得はできるのだが、あれ、どんな話だったっけ、と何回も前の話を読み返す必要がでてくる。僕自身もこの作品を大方理解できたとは思えないし、誤認もたくさんあることだろう。
そしてホラー作品として「怖い」かというと、オチがない分気味の悪い怖さがずっと胃に残り続けるような、そんな嫌な作品であるといえる笑
あらすじ
いったい僕は今何を見ているのだろう。
梨 [2023] 『6』 p.212
屋上遊園地、石塔、怪ラジオ、愛の新世界、餓鬼の縊死体、六道覗唐栗、不規則に並べられた破片は最後、ある一つの概念に帰結する。これは呻吟の六道輪廻譚である。
書評
!! 下記ネタバレを含みます !!
だってもう、怖くてさ、地獄に落ちるのが
梨 [2023] 『6』 p.210
この物語は6つの短編「ROOFy」「FIVE by five」「FOURierists」「THREE times three」「TWOnk」「ONE」で構成される。当初はこれらは個々独立したオムニバス形式の作品かと思っていた。しかし、読んでみるとどうやらこの「6」と言う作品は「六道輪廻」について描いていて、最終話「ONE」が「六道輪廻」の総論的要素をもっているということが分かる。つまり、1-5話はその各論として描かれているのだ。しかし「ONE」で描かれる「六道」の要素がすべて綺麗に各論としてそれぞれ紐づいているかというと、そうではないし、各話に登場する主人公や時代背景などがそれぞれどのようにリンクしているかという点もいまいち不明である。
ここではそれぞれの話と、対応する六道をセットにして書評を述べるとする。
ROOFy – 天道
全部お前にも起こるからな
梨 [2023] 『6』 p.33
この話は、快楽の果てにそれを失う苦しみは、快楽を知らない果ての苦しみの何倍も苦しいものである、と言う六道のテーマを基盤にしていると考えられる。それは前者の場合、無垢の苦しみに加えて快楽を失う苦しみが加算されるからである。主人公が屋上遊園地のトイレを出た時に感じた静寂はまさにそれを示唆しているのだろう。これは、金曜日の学校や仕事が終わって、土日お休みだ~と喜ぶ脳髄の片隅で、また月曜日が来てしまうということを金曜日の時点で悲観している自分がいるという事に似ている。楽しいことはすべて終わってしまうものであり、その後の静けさや虚しさを思うと、楽しいことなんて最初から起きない方がましだったのではないかと煩悶してしまう気持ちは、わからなくもない。
FIVE by five – 人間道
あー、あなたも人間になっちゃったんだ。残念でしたねー
梨 [2023] 『6』 p.62
「六道輪廻」の思想が生まれたのはここ、人間道である。石塔を積む男女が言ったように人間の世界とは難儀なものである。理性があるがために超自然的な要素を構築して、生まれ変われば今よりもっといい世界があるのではないか、と邪推してしまうのが人間である。そもそもその根底には「四苦八苦」の概念があるといえる。我々人間は生きているだけで様々な事象に懊悩する。生まれること自体に苦しんだと思えば、老いることに苦しみ、病気になることに苦しみ、「死」そのものに苦しむのだ。それは苦しみの連続であり、そこからの解放を求めてありもしない世界に思いを馳せることは案外普通なのかもしれない。
FOURierists – 修羅道
23:45
梨 [2023] 『6』 p.107
ラジオから聞こえていたものと似た女性の「怒りました?」という声とともに、動画が終了する。
A、Bの争いや「怒りました?」と言う女のセリフから「修羅」を思わせるシーンがポツポツと見られるが、その真意はどのようなものだろうか。そのたたき台として、この話は6短編の内唯一人間関係が描かれる作品であると言える。あるサークルを舞台に中村やかおりちゃん、高原、A、Bなど属性を持った複数の登場人物による人間模様が描かれる。狂ってしまった高原がその関係にヒビを入れたように、この世界において時間とコストをかけて構築した良好な人間関係は一回の不義理や時間の経過によって一瞬のうちに儚く消え去ってしまうものであることを示唆している。この話は六道との繋がりを探るのが難儀な作品であった。また、神を怒らすと言うことはその神すらも修羅道に生ける何かであると言うことなのだろうか。
夜中のドライブ、あるはずのない金網、ザッピングするラジオ、現実世界との同期と、なかなか怪談として怖い話である。
THREE times three – 畜生道
やばい違うやつだった
梨 [2023] 『6』 p.169
所謂家畜は、その一生を人間の支配下に置かれ、卵を産まされ続けたり、ペットと称して飼われたり、研究のためのモルモットになったり、屠殺されたりする。家畜でなくてもゴキブリに生まれれば人間に壓殺されるかもしれない。熊に生まれれば人間に撃ち殺されるかもしれない。それはつまり弱肉強食の世界であり、自分より強いものに殺される、支配されるかもしれないと言う不安が常に付きまとう世界である。やがてその不安は具体化するわけだが。
種苗生産プロセスは畜生道の世界を表したものであり、畜生になるのは我々人間である。崇敬対象の設置、自らに判断をさせる誘導コミュニケーション、断食、叱責、飴と鞭、軟禁、罪悪感の植え付け、そのカルト教団顔負けのプログラムは圧巻である。
そして「畜生様」と言うネーミングは何とも皮肉なものである。
TWOnk – 餓鬼道
まだ、話しとるだろうが私が。今あそこに居るのは餓鬼だよと、答えとろうが。
梨 [2023] 『6』 p.186
餓鬼憑きまではわかる。しかしその餓鬼が苦しみの果てに自殺をして、その場にずっと残り続けると言うのは、非常に厄介な話である。他短編でも登場する「幽霊の自殺」というワード、これは餓鬼が自殺することと捉えても良いのではなかろうか。餓鬼道は欲が深くて強情っぱりな人間が落ちる場所であるが、幽霊=欲が深いと言う式は腑に落ちるものがある。なぜなら、幽霊は元々人間であり、生前はたくさんの命を取り込み生きていたにもかかわらず死んだら死んだで幽霊として具現化してまで自らの思いを晴らそうとするその「強欲」さや「図々しさ」はまさに餓鬼のそれとしか言いようがないからである。本当に人間というのは自分勝手な生き物である。
ONE – 地獄道
地獄絵図、か。
梨 [2023] 『6』 p.224
たくさんの人間が地面に叩きつけられて死んでいく。夥しい数の死体が死屍累々を築くまさに地獄のような世界。しかしその果てには生まれ変わりがあり、またこの世界に戻ってきて再び血の海を形成すると言う堂々巡りを永遠に繰り返すのだ。この話では「死」と言う概念が明白に描かれる。そこには喜びも悲しみもない、ただ人が無意味に死ぬ世界。まさにこれは地獄そのものである。
まとめ
人間はどうしたって苦しみから抜け出すことはできないのかもしれない。「死」への恐怖から、人間は「生まれ変わり」と言う概念を生み出した。「六道輪廻」の根底にあるのはこの概念であると僕は思っている。そのことが逆に人間の首を絞めてしまっているのだから、それはそれで面白い。そもそも誰も死んだあとの世界を見たことがないのだから「極楽」だの「地獄」だのがあるかどうかなんてわからないし、人間の精神は死と同時に永遠の無意識状態となり、肉体は腐って滅びるだけで、魂なんてものは存在しない、なんていう科学的な見解も本当かどうかはわからない。死んだら楽になるかもしれないし、死んだら逆に苦しくなるかもしれないし、その認識すらできなくなるかもしれない。
いずれにしても言えることは、我々人間は、今この世界で、苦しみながらも一生懸命愉快に生きることだけが、救いになるのではないかということである。


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