怨霊とは何か
山田雄司
2014年8月25日 発行
中公新書
祟りと呪いのシステムは似ている。
どちらも、客体がそれを認識して初めて効力が生ずるのだ。
また、前者は主体が神・霊であるのに対し、後者は人間である点で異なるが、神・霊は人間が作り出した概念である為、両者の骨子は災難に対する理由付けであると言える。この推測は本作を読むことでより輪郭が明瞭となった。
本作では菅原道真、平将門、崇徳院に関して、様々な文献を論拠として述べられている。映画やドラマで見聞きした彼らの「怨霊」的側面の真相を知ることができるだろう。
書評
個人の病気や死、さらには天変地異や疫病などが発生した場合、その原因を怨霊に求めようとすることは、日本社会の基層に今でも脈々と流れている。
山田雄司 [2014] 『怨霊とは何か』 p.38
この本はまず怨霊と霊魂との概念を述べた後で、日本三大怨霊と言われる菅原道真、平将門、崇徳院の三人を深堀り、その後どのような怨霊が発生して、日本人の神観念がどのように遷移していったかなど記述されている。
本作のメインである菅原道真、平将門、崇徳院についての記述について、以下のような共通項がある。
一つは彼らは皆時の為政者であり、それぞれが道半ばで左遷させられたり、殺されたりしている点。
彼らが生きた平安時代は怨念蠢く時代であると言える。天変地異からの大飢饉に見舞われインフラがぐらぐらな中で、皆が出世の為に周りを蹴落とす時代。菅原道真も藤原時平の讒言によって左遷を余儀なくされている。それまでの彼のエリートぶりを見るに、相当無念であったことだろう。周囲が彼が辿った両極的な運命を見ていたからこそ、彼は怨念となり得たのだ。
一つは彼らが亡くなったのちに、その怨念が広く認識されるには一定のタイムラグがあり、その膾炙には書物や歌舞伎などの媒体が深く関わっている点。
崇徳院は讃岐に配流されたあとも実際は故郷を想い、世を悟り達観して、極楽浄土に入定することを願っていたそうだ。少なくともこの世に対する恨みつらみを持っていることは当時の文献からは読み取れないという。その後後鳥羽院の怨霊と重ね合わせられ書かれた「保元物語」や、江戸時代以降の文献、歌舞伎などによって、彼の怨念が世の中に浸透したと言える。彼の実父が白河院であることがその遠因とされる保元の乱に始まる一連の惨事は民の心を打ったに違いない。それにしても旦那の祖父との間に子供を作ってしまう嫁とは…なかなかのものであり、今とは全然違う時代の側面が窺える。
一つはそれぞれが調伏や崇拝されたのち、神格化している点。
都の理不尽に果敢に挑んだ平将門は、やり方は乱暴であったとはいえ、関東の人間からは好かれていたのかもしれない。それが証拠に平将門は神田明神に祀られ、今でもたくさんの人たちが参拝をしている。
「相馬の古内裏」は絵としては大好きな浮世絵であったが、そのバックグラウンドストーリーはよくわからなかったのが正直なところだった。本作を読んで、その詞書の意味を知れてよかった。
「怨親平等」思想の「怨」とはまさしく怨霊のことを指しているのだろう。客体の良し悪しにかかわらず供養をするというその思想の根底にあるのは、恨みつらみをもってこの世を去った客体の祟りに対する恐れであると考えられる。人間は予想外で理不尽な出来事を単なる偶然として片付けることができるほど、合理的でないのだ。残された人間が供養という一種の儀式を行い、それが広く認知されることで供養は意味をもつのだ。
まとめ
本当に怖いのは、怨霊ではなくそれを成す要因を作り上げる側の人間である。
そして怨霊も人間がもととなり、人間が作り出した概念である点非常に面白い。


コメント