【書評】殺戮にいたる病

殺戮にいたる病
我孫子武丸
1996年11月15日 第1刷発行1
講談社(講談社文庫)

我孫子武丸作品で初めて読んだのがこの作品だった。この作品にはとんでもない「どんでんがえし」がある、という情報はなぜか知った上で読んだ覚えがある。
本作には、幽霊も怪異も登場しない。純然たる「ヒトコワ」ミステリー小説であるが、予備知識として「どんでんがえし」があることは分かっていたのにも関わらず、そのラストシーンにびっくりしてしまった。
是非初見の方は、変に穿らず淡々と物語を読み進めていってほしい。

目次

あらすじ

蒲生稔は、逮捕の際まったく抵抗しなかった。

我孫子武丸 [1996] 『殺戮にいたる病』 p.8

蒲生稔は様々な女性を殺し、永遠になくなることのない愛を求め続けるシリアルキラーである。ある日以前殺した女とそっくりな女に偶然出くわし、彼の心臓はトキメキ、彼女ともう一度終わることのない愛の営みを企てるが。

書評

その布団の上に、男はいた。そしてもう一人の女も。

我孫子武丸 [1996] 『殺戮にいたる病』 p.314

本作のトリックを知ったときに、何とも言えない感覚に陥った。それは「騙された」という感覚ではなく、一種の感銘に近いものであった。本作は稔、雅子、樋口の三つの視点から展開されるが、稔と雅子が夫婦であることを全く予想できなかったのだ。作中において稔が描いていた母と、雅子が描いていた息子という関係性は二者によるものでなく、四者によるものであったのだ。どおりで、「父」の描写が少なく、「祖母」にいたっては最後の最後まで登場しなかったわけである。雅子の息子である信一は、父の凶行に気づき、独自に調査をしていたのだと思われる。とにかく、このどんでん返しは稔が犯した犯罪の狂気さを薄めるほどのものであった。

今回ちょうど本作を読み直しているときに「殺人王」という本を併せて読んだ。それは世界中のシリアルキラーを図鑑形式で載せている作品であるが、シリアルキラー研究のたたき台として非常に魅力的だ。シリアルキラーの多くは幼少期に何らかのトラウマがあり、殺人の目的がネクロフィリアやカニバリズムにあると言える。本作の稔もその属性を大いに含んでおり、歪んだエディプスコンプレックスの果の凶行であろう。その主人公である稔の病理的な属性にフォーカスして本作を読み込むのも中々面白い。

まとめ

何もこの作品にだけ言えることではないが、叙述トリックを使用した作品は映像化することは難しそうだ、という当たり前のことをボンヤリと考えていた。小説という媒体にだけ与えられた技巧だ、そう考えると文字という媒体の奥の深さというか、魅力というか、そういう概念に無暗に感動せざるを得ない。

ある調べによると、読書にはリラックス効果があるとのこと。文字を追うと、脳の動きが変化し、ストレスを緩和するそうだ。本作の場合、読書によるストレスの緩和とグロ描写によるストレスの発生という二律背反状態になることが予想されるが、果たして読了後どうなるのだろうか。もちろんここで発生する「ストレス」とは「良いストレス」を指すが。


  1. 初出は「殺戮にいたる病」(講談社ノベルス) 1994年8月5日 第一刷発行 ↩︎
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