【書評】洗礼

洗礼(全4巻)
楳図かずお
1巻 1995年11月10日 第一刷発行
2巻 1995年11月10日 第一刷発行
3巻 1995年12月10日 第一刷発行
4巻 1995年12月10日 第一刷発行1
小学館文庫

楳図かずおといえば言わずと知れたホラー漫画界の重鎮である。「へび女」や「漂流教室」「まことちゃん」など、その名作の数々は誰もが一回は読んだことがあるのではなかろうか。楳図かずおと聞いて真っ先に思い浮かべるのは真っ黒なベタを背景にアップになった劇画チックで特徴的な叫び顔である。「叫び」を描く際のコマ割はその悲痛をくまなく表現している。怪異だけでなく登場人物一人一人の「叫び」それ自体が怖いのである。ホラー漫画において怪異の被害者の表情が怖い作品というのは、なかなかないであろう。
当時僕が高校生くらいの時に激推ししていた中川翔子ことしょこたんの影響で彼の作品に手を出したのが始まりであった。僕が初めて読んだ楳図かずお作品は「洗礼」であった。もっとお化けお化けしているのかと思ってわくわくして読んだが、意外に「人間の怖さ」を描く漫画家だなぁと感じたのを覚えている。2とはいっても、ホラージャンルにおける「人間の怖さ」とはホラーをホラーたらしめる重要な要素に他ならない。なぜなら怪異はもともと人間である場合が多い為である。人間達の営みによって怪異は生まれるのである。そして、楳図かずお作品において怪異はあくまで一種のツールに過ぎないのかもしれない。

目次

あらすじ

そのためにさくらを産んだのよ!!

楳図かずお [1995] 『洗礼 1巻』 p.82

絶世の美女若草いずみはその顔の痣を隠して芸能活動をしていた。ある日そのことに耐えきれなくなったいずみは幼少期からのかかりつけの医者を呼び、泣き崩れながら助けをこう。そんな彼女に医者はある恐ろしい提案をする…

書評

母親とは娘にとって何か?
娘とは母親にとって何か?
そして…
母親は娘に何を与えたか?

楳図かずお [1995] 『洗礼 1巻』 p.5

トリックを知ってしまえば、それは非日常的で、非現実的である。さくらの母が数日間土の中で生きていた点や、さくらの頭頂部の傷跡を他人が知覚できていた点、普通に生きていたさくらがいきなり大人びた言動をとる点など、明らかにおかしい点が多々あるが、それらがどうでもよくなるくらいに、「洗礼」は面白い。
まず、さくらの表情がすごい。事件後のさくらは母を演ずることになるが、少女とは思えないほどの妖艶さ、狡猾さがあらわになる。数日前までクラスメイトと天真爛漫に遊ぶ彼女の面影はない。そこに、少女の成長の早さのようなものを感じた。きっとさくらだけでなくほとんどの女性がこのような妖艶さを隠しているのではないかと当時高校生だった僕は考え、女性が怖くなったものだ。男子校で騒いでいたアホな僕にとって、女性はあまりにも神々しく、機会があってもまともに話せなかった。
そして全体的に漂うダークなオーラ。これは楳図かずお全般の作品に言えることだが、黒のベタが多く、作品を通して暗いのである。登場人物の悲痛の叫びも、ゴキブリ粥も、転がる動物の死体も、シリアスに入る顔の影も、脳を移植するという発想も、すべてが怖いのである。
作中で「愛」について描かれるシーンがある。妻の和代の「私とあの子(さくら)、どちらを愛しているの?」という質問に対して谷川先生が「くだらない」と言い放つが、この発言の骨子は決して愛を邪見にするということではない。楳図かずおは「愛」の表面的な解釈が跋扈する世の中に対しての警鐘を鳴らしているのだ。その証拠に、谷川先生は最後まで妻を裏切らなかったし、教師としてさくらや良子を守った。また、さくらが谷川先生に向けた愛は敗北を喫した。そもそも、さくらが教師に恋をした時点で、おかしいと思った。なぜなら人生の荒波を超えてきた母いずみがそのような判断はしないと感じたからである。10歳そこらの少女が妻子持ちの教師を狙うよりも、しっかり勉強をして見聞を広めて社会に出てから玉の輿を見つける方が、より、いずみっぽいからである。つまり、さくらが谷川先生と蜜月を夢見たのはさくらが演技を遣り損なった一つの要素であったのだ。

この物語のタイトルが「洗礼」である為、少女にとって母は神を表しているということでほぼ間違いないであろう。母の想いを娘が知らずのうちに無意識に継承している点から、洗礼における一体化を表現し、かつ娘が母に従順に生きることを示唆している。あの自宅の二階で起きた事件の日、つまるところ、さくらは「洗礼」を受けたのだ。そもそも、さくらは母の奸計を知りがなら、なぜ母の想いを継承したのだろうか。また、物語の最後で、なぜさくらは刃物をもって迫る母と抱擁をしたのか。そこには良くも悪くも母と娘の関係を断絶させることの難しさのようなものが描かれている。あれほど、自分勝手に娘を殺そうとした母を恨んでも、恨み切れないさくらの哀しさをひしひしと感じる。さくらの身体を奪うために出産をした母であるが、結局この親子は離れても離れられないのであろう。それが二人が受けるべく、真の意味での「洗礼」なのかもしれない。

まとめ

僕は、父に競争心を抱いたり、ライバル視をしたことはない。全盛期の父親よりも僕は稼いでないし、今の僕の年齢で、父はすでに所帯をもっていた。親と言うのは偉大であるという風に素直に思うし、自分がそのようになれるか不明である。少なくとも、父と子の確執のようなものはない。では、母と娘はどうなのだろうか。僕には妹がいるので、彼女と母の関係を眺めることがあるが、そこにもあまり確執は感じない。つまり、母が老いる自分と女らしくなる娘を比較し云々の下りは我が家には無関係の様だ。
だからこそ「洗礼」を心から楽しんで読めるのかもしれない。


  1. 初出は週刊少女コミック 1974年 50号(12月8日号 第9巻第49号 通巻248)から1976年 16号(4月11日号 第11巻第15号 通巻318)まで連載 ↩︎
  2. 楳図かずお作品の中でも「洗礼」は「人間の怖さ」を重点的に描いている作品であるとのちに知る。 ↩︎
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