江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚
江戸川乱歩
2004年8月20日 初版1刷発行
株式会社光文社
パノラマと聞いてまず思いつくのはジオラマのようなミニチュアのような、そんな縮尺を小さくした疑似世界である。そういえば、昨今「ミニチュア」ブーム到来ということで、都内では様々なミニチュアイベントが催されている。僕も今年2025年2月ごろ、ホテル雅叙園東京にある百段階段とコラボしたミニチュア展「ミニチュア×百段階段~文化財に広がるちいさな世界~」を見に行った。

展示の一つに、自らが小さくなってミニチュアの世界に入り込むといったようなコンセプトのものがあった。これはそんな世界ではしゃぐ僕の画像だ。
話は変わって、僕の父はプラモデルが好きだ。そして最近それが転じて、ミニチュアの世界を構築するのにハマっている。

これは彼のこれコレクションの一部ではあるが、日々増えていっている模様である。僕はこういう細かい作業はあんまり得意ではないので、すごいと思う。
さて、以前本ブログで取り上げた「【書評・考察】江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」では僕の江戸川乱歩に対する熱い思いを綴った。そしてあれから少し時間が経ってしまったが、今回は江戸川乱歩全集の第2巻に関して記述する。
このシリーズは全30巻からなり、第2巻は全5話1を収録しているオムニバス形式である。一話一話、書評を書けたらと思う。
書評及び考察
!! 下記ネタバレを含みます !!
闇に蠢く
その翌朝、部落の人々は、前代未聞の珍事を見た。村中がひっくり返る様な騒ぎで、お寺の墓地には黒山の人だかりが出来た。
江戸川乱歩 [2004]『江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚』p.173
江戸川乱歩初の長編作品である。何回かの休載を経て、尻切れとんぼになってしまったが、現代大衆文学全集に収録されるということで、加筆修正し完成した作品である。それにしても江戸川乱歩の作品が現代文学全集に収録される世界線とは、豪華なものである。
当初は「闇に蠢く」という題名は籾山ホテル直下の洞窟に閉じ込められた三人を表していると思っていたが、それはカニヴァリズムに覚醒し、人肉を求めて闇夜を彷徨い墓をあばこうとする野崎をも表しているといえる。野崎がたびたび聞いた子守唄は、後にホテルの主人の嫁が歌っていたものであると判明するが、その歌声は生きている彼女のものだったのだろうか。ここは若干含みがあり、時系列が曖昧であるため、女将さんの幽霊が口ずさんでいた可能性も否めない。
お蝶の蟲惑の餌食となった進藤、野崎、ホテルの主人は不思議なことにみな「カリヴァリズム」という属性を持っている。三人ともある出来事により後天的にそれが発現する。彼らには他に女体好きという特徴がある。野崎に至っては東京にいるとき、自分のアトリエに女を呼び寄せ裸婦画に夢中であったし、進藤は海外でも風俗通いに精を出していた。ホテルの主人に至っては温泉で巨大なまな板に女を載せてマッサージをするのが大好きであった。要は、3人ともどこか似ているのである。
そして、彼らと次々と男女の関係になるお蝶はなかなかの悪女である。お蝶が沼で失踪した時にはすでにホテルの主人とお蝶の関係はできあがっていて、失踪事件を共謀したと考えられる。あんなに毎日仲良く戯れていた野崎とお蝶であったが、知らず知らずの間に、お蝶の気持ちはホテルの主人の方に向いていたのである。おそらく籾山ホテル名物トルコ風呂サービスの最中にことに及んだのであろう。ここにお蝶の軽さや悪女としての恐ろしさが垣間見える。
ホテルの主人がお蝶を食べなかったのはなぜなのだろうか。それは彼女を食べてしまうと余計な証拠がのこり、彼が食人鬼であることが世間に露呈してしまうことを恐れたからか。つまり、村人と大々的に墓じまいをしたあとで、夜中にこっそり、お蝶が腐らないうちに、墓をあばいてその肉をぱくりとするつもりだったのではなかろうか。彼はその最中にばったり、野崎と会ってしまったのだ。
お蝶への想いを断ち切らなかった野崎が、彼女の心臓を食べると言う猟奇的なラストシーンは、結構好きである。
湖畔亭事件
さて本題に入るに先だって、私は一応、私自身の世の常ならぬ性癖について、又私自身「レンズ狂」と呼んでいる所の、一つの道楽について、お話して置かねばなりません。
江戸川乱歩 [2004]『江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚』p.182
乱歩の初期中長編作品の中ではかなり好きな作品である。
話の筋が二点三点と変わる為、物事は見方ひとつで全然違ったものになるということを改めて実感した。物語の最後で「私」が感じた「ある重大な疑問」こそ真実なのではないかと思うのである。
ただ、僕が感じるこの話の面白い点はそこではなく、主人公に覗き趣味があるところである。彼はレンズ狂であり、レンズに陶酔し、レンズに明け暮れている。挙句の果てには逗留先の湖畔亭にて覗き装置をこしらえ、日がな一日それに夢中になっているという点が非常に面白いのだ。こういった変態癖を推理小説という舞台に適合させてしまうところが乱歩がただの推理小説家ではない確たる証拠であると言える。
かなり曖昧な記憶かつ、本作におけるレンズの件とは相違するが、僕が小学生の時、鏡が付いた筒のようなもので、鏡を45度にしてその反射を利用することで、所謂覗きのようなものができるおもちゃがあった気がする。子供に科学的な興味をもたせるための玩具であったと思われるが、今の時代はすぐに問題視&発売中止されそうなアイテムである。僕はそのおもちゃを使って自宅の色々なところで家族を隙見した。鏡に映る家族は、普段見ている家族とどこか違っていて、それが面白おかしかったのだ。
何が言いたいかというと、「私」の気持ちは痛いほどわかる、という事だ。
空気男
君はすべてのことを、形だとか数だとかで、ハッキリ記憶するのでなくて、ボンヤリと空気でかんじているらしいね。
江戸川乱歩 [2004]『江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚』p.344
この作品は、掲載母体の「写真報知」の廃刊と共にその運命を共にし、完結することがなかったそうだ。
「記憶」ではなく「空気」を頼りに論証を行う、記憶力が著しく低下している男「空気男」の話である。言動の論拠がその「空気」であることはそれに一貫性がないということではあるが、臨機応変に物事に対応することは可能であるということを言っていて、設定は中々面白い為、完結しなかったはとても残念である。
あなたの周りにも「空気男」、たくさんいません?笑
パノラマ島綺譚
私のパノラマ島の眼目は、ここからは見えぬけれど、島の中央に今建築している、大円柱の頂上の花園から、島全体を見はらした美観にあるのだ。そこでは島全体が一つのパノラマなのだ。
江戸川乱歩 [2004]『江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚』p.451
ディズニーランドに聳えるシンデレラ城の縮尺について、おかしいと思ったことがある人はたくさんいるのではなかろうか。城の上部にいけばいくほど、縮尺を小さくすることで、我々の脳はそれを「大きい」と錯覚するようである。この目的は、対象物を実際のサイズよりも大きく見せることでありこれを「強化遠近法効果」といったりする。そしてここパノラマ島ではこのような仕掛けがふんだんに使われているのだ。パノラマを生で見たことはないが、それはミニチュアの世界に入り込むようなもので、半球形のドームを呈した建物の中に広がる世界は、偽りと分かっていても、どこまでも無際限なそれに、当時の観客たちは魅了されたことだろう。
表題作であり「パノラマ島綺譚」「パノラマ島奇譚」「パノラマ島奇談」等表記ブレが見られるが、著者初の個人全集である平凡社版や、「貼雑年譜」においても手書きで「パノラマ島綺譚」とあるため、本作においては「パノラマ島綺譚」の表記を採用しているそうだ。2
本作は一介の書生である人見廣介が彼と瓜二つである大学の同級であった菰田源三郎になりきって「パノラマ島」なるテーマパークを作る話である。人見による虚偽の自殺の前後で物語の構成が分断されている。前者は多少無理のある設定に思えるが、自分に生き写しである男の墓を自ら暴き、入れ替わるという描写自体が怪奇的であり、それは後半パノラマ島での千代子とのやり取りにおける重要な要素となっている。後者は菰田になりきった人見による一大テーマパーク建設事業における「パノラマ」という精巧な偽物という概念が人見がもつアート全般に対する考え方と類似している点が興味深い。つまり、人見という人間が「パノラマ島」を作るということは、彼の性格からして至極当然のことであり、そこら辺の関聯がきちんと描かれているのだ。
やがて、探偵北野小五郎によって人見の罪業が暴かれるが、その証拠の一つとなった「RAの話」に諸々のトリックを書いてあった件には、なんとも言えない呆気なさを感じた。また、菰田の遺体の隠し場所として、隣の祖父の墓に隠したという推理は北野による鎌掛けであり、人見が墓暴きをした時には、祖父も棺桶も跡形もなくなっていたことから例え警察の捜査の過程で墓が掘り起こされたとしてもバレることはなさそうに思われる。いずれにしても千代子殺しが判明してしまっているため、すでに人見の犯罪は露見しているが。
追い詰められた人見がパノラマ島の夜空に五色の花弁となって散る、物語の衝撃的なラストシーンはおそらく江戸川乱歩が描くカタストロフィなのだろう。彼の創造したパノラマ島にその血肉が降り注ぐ様は含蓄に富み、忘れたくても忘れられないほどに美しいと思ってしまう。
一寸法師
執念深い不具者の呪いだ。人殺し、泥坊、火つけ、その他ありとあらゆる害毒を暗の世界にふりまいてきた。驚くべきことは、それが彼奴の唯一の道楽だったのだ
江戸川乱歩 [2004]『江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚』p.621
子供のような背丈に、大人の顔というのは何とも奇妙である。パッと思いつくのは、映画「エスター」である。
この作品は、乱歩お得意のどんでん返しが随所にみられるが、所謂「全部嘘でした」という彼の初期作品に多く見られるそれとは違い、純然たるどんでん返しであると感じた。犯人にとっての予想外である事項、一寸法師の罪業と本作で扱われる事件の関係、アリバイのブラフ、意外な犯人など、かなり推理小説として面白い点が多いように感じる。
ラストシーンで描かれる明智小五郎の干渉は、真実はいつも一つでないことを示唆していて、そんな彼の性格が、僕はとても好きだ。
まとめ
パノラマ島は美しいのだろうか。
「一大パノラマ」という言葉があるように、そこには種々様々の風景を一望できる仕掛けが施されている。それすなわち、広大で、色々なそれを一度に眺めたいという先人たちの願いが具現化された故である。しかしその具現化の過程において、風景の地物はその縮尺を、島の住人達は金によってその言動を改変させられる。ひょっとすると、この世の中に存在するアートと、乱歩が描いたパノラマ島は同義なのかもしれない。額縁から抜け出して空間を支配する前衛芸術のようなものなのかもしれない。
本物が常に美しく正しいというわけではないが、パノラマ島を照らす五色の花火には何とも言えないおぞましさがあると言えよう。
- 各作品の初出を下記に記述する。
「闇に蠢く」月刊誌「苦楽」(プラトン社) 大正15年1月-11月掲載(1926) – 結末を描くことなく中絶。昭和2年10月「平凡社版現代大衆文学全集第三巻『江戸川乱歩集』」(平凡社)にて結末が加筆された。
「湖畔亭事件」週刊誌「サンデー毎日」(大阪毎日新聞社) 大正15年1月3日-5月2日掲載(1926)
「空気男」旬刊誌「写真報知」(報知新聞社出版部) 大正15年1月5日-2月15日掲載(1926)
「パノラマ島綺譚」月刊誌「新青年」(博文館) 大正15年10月-昭和2年4月掲載(1926-1927)
「一寸法師」日刊誌「東京朝日新聞」(朝日新聞社) 大正15年12月8日-昭和2年2月20日掲載(1926-1927)
江戸川乱歩 [2004]『江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚』 p.679-699 ↩︎ - 江戸川乱歩 [2004]『江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚』p.694 ↩︎


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