【書評】火の玉レストラン

怪談レストラン⑪火の玉レストラン
怪談レストラン編集委員会・責任編集 松谷みよ子
絵 たかいよしかず
2000年6月20日 第1刷発行
株式会社童心社

怪談レストランシリーズ全50巻あるうちの第11巻目、火の玉レストラン。
表紙には両手にナイフとフォークをもってにんまりしている火の玉が描かれている。
彼の名は火の玉ボーイ。ボーイというだけあって、彼はこの店のオーナーではないのだ。

火の玉と聞くと子供の頃おばあちゃんちでやった「ひとだま花火」を思い出す。一本の針金の先に「種」が括り付けて合って、そこに何らかの薬品を塗りたくり火をつけると、緑色の火が立つのだ。そして針金をもってゆらゆら揺らせば、まるでひとだまが浮遊しているかのように見えるのだ。あの頃も、今も、僕のひとだま(火の玉)に関する意見は同じで、それは「火事にならないか不安」というものである。昨今においても火事のニュースを目にする機会が増えた気がするので、火の元には気を付けようと思う毎日である。

目次

あらすじ

ようこそ 火の玉レストランへ

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.3

火の玉レストランの入り口には「feu follet」と書かれた看板が掲げられている。調べたところ「feu follet」とはフランス語で鬼火のことで、なるほどリストの超絶技巧練習曲の中にそのような字面を見た記憶があるようなないようなである。手を模した玄関灯がおしゃれだ。
読者はゲストとなり、当レストランでお料理(お話)をいただくのである。
作品は全12話のオムニバス形式で描かれ、内3話は火の玉レストランに関する話、内9話は広義のホラーに関する話で構成されている。ほとんどが「火の玉」に関する話であり、国内外の話が集められていて非常に統一感がある作品群となっている。p4-5 レストランのメニューを模した目次が非常に面白い。

メニュー

最初のおはなし 火の玉レストランができたわけ (松谷みよ子)

ううん、おばさん、さびしくないわ。ほら康夫さん、そこにいるもの

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.8

まず、当レストランのオーナーは雪子という女性で、本作の話者は雪子の叔母にあたる女性だ。そして、雪子は康夫という恋人を亡くしている。しかし二人の会話が進む中で、康夫は「火の玉」となって雪子の前に現れたこと、康夫の生前の夢であるレストランをオープンさせることが判明する。そう、火の玉ボーイは紛れもなく康夫だったのだ。そしてp.11の挿絵を見るに、康夫はお化けギャルソンとも知り合いのようだ。
この作品には、意味深な描写がある。それはp.15の雪子の叔母の挿絵である。彼女には「足」がないのである。これは、彼女がもうすでに死んでいることを示唆しているが、始めて火の玉レストランに食事にしに行ったとき、一体彼女に何があったのだろうか。p.14のお化けギャルソンの「気をつけろよ…」というセリフが不穏に響き続ける。そしてこの頁以降、一切雪子の叔母は姿を現さないのだ。

おきもののおはなし 雨のつえ (松谷みよ子)

ホタルは、死んだ人のたましいなんです。そのつえをふると、水の音にさそわれてあらわれるのです。

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.20

火の玉に似ているということで「ホタルの光」を登場させたのだと思うが「雨音」「水」「ホタル」というふうに、チリの雨杖からホタルを連想させるのは巧い。その光が人の魂であると明示することにより、どこかもの哀しい雰囲気を演出している。

自分の葬式をみた男 (藤かおる)

あっ、おれの写真だ

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.33

本作で描かれる事象は、漂う火の玉が所謂魂(幽体)であった為、それを失った肉体は滅びるという事だと思うが、それを主人公はなぜ視認できたかが不明である。最初の視認から数年後、彼が死んだことを考えると「死」が近づいてきたからというのがその答えか。そして視認の能力の使用には自らの寿命を削らなければならないというルールがあったのかもしれない。いずれにしても推測の域をでない。

もえる男たち (高津美保子)

ヨハンはとおくに<もえる男>をみつけた。頭が炎のようにまっ赤にもえている男だった。

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.37

まず、頭が燃えているというビジュアルが興味深い。生前悪事をはたらいたことから、成仏できず、亡者に永遠の苦しみを与えるための炎と推測できる。また、その炎をつかって迷い人の道を照らし、感謝されることで成仏できるという点も炎ならではである。しかし彼らは人の命を奪うこともできるため、悪魔的な要素ももっていることは言わずもがなである。

タルーおじいとブナガヤ (望月新三郎)

ブナガヤは、いま、どうしているかって?山に気があるかぎり、ほら、そこに、あそこにみえるだろさ。

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.54

ブナガヤはキジムナーの一種ではあるが、独特な「火」をつかうため亜種といえる。木の精といったところか。おじいさんとブナガヤのほっこりするエピソードのうしろで、戦禍が見え隠れする話。僕もブナガヤの楽園に行ってみたいと思った。

ひきあげのときみた火の玉 (松谷みよ子)

いいですね。たったひとつ、注意してください。子どもをつれた人はぜったいに、子どもをなかせないこと。もし、子どもがないてないて、なきやまなかったら…

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.57

描かれる火の玉要素としては「自分の葬式をみた男」と同じで、幽体が火の玉となって本人の周囲を揺曳するというものだが、この作品にはもう一つ恐ろしい点がある。それは、脱北する際に連れている子供が泣きだして、泣き止まなかったら、その子を「殺さねばならない」ということである。作中において「やがておとうさんが、ひとりで森からでてきました。手ぬぐいをぶらんぶらんさせて。」という一節が恐ろしくて仕方がない。それは、戦争の狂気と惨さをも表しているのだ。

青い炎の館 (八百板洋子)

ミーナ、みてしまったんだね。秘密をしったものをころすのが、吸血鬼のおきてなんだよ。でも、ミーナ、きみは…。

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.73

よく吸血鬼は十字架が苦手というが、本作では十字架の聖なる力によって吸血鬼を青い炎で焼き尽くすシーンが描かれている。吸血鬼に恋をした人間の女の話はよく聞くが、人間の女に恋をして自ら滅亡の道を歩む吸血鬼の話は中々聞かないので面白いと思った。

鉄砲うちと火の玉 (吉沢和夫)

ああ、おそろしいこともあるもんよの。すんでのところで鉄砲でうちころされるところだった。

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.84

とても有名な話である。自分の魂が火の玉となって体を抜け出し、外を散歩するというのはやはり面白そうだ。僕が子供の頃、この話を読んで思ったことは、怖いということではなく、僕の魂も抜け出して空を飛びたい!友達の家に忍び込んで驚かせたい!という元気いっぱい夢いっぱいなものであった!笑

火の玉ばあさん (新倉朗子)

火の玉ばあさんと結婚するか、羊飼いをやめるか、ふたつにひとつしかないね

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.100

何とも不思議な話だ。ヤギの形を成している火の玉ばあさんの正体も目的も分からずじまいである。鬼火がヤギに宿り怪異を成したのかもしれない。

対馬丸 (小沢清子)

でも、ほんとうはしってたんです。対馬丸がしずめられたのを。しっていて、はなせなかったんです。軍のヒミツだからって、口どめされてて。

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.112

「火の玉レストラン」には戦争の話がちらほらと掲載されている。この話は実話であり、対馬丸はアメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没し、乗船していた800人近い子供の命が一瞬にして奪われた。

戦時中の怪談というと、不謹慎だという意見が間々飛び交うことがある。僕は、その怪事象が事実であるか否かはさておき、そのような記録が実際にあるという事は評価するべきであると考える。話の形態は問わずしてそれが語られ続けられる点において、意義があるのではなかろうか。

デザート ゆりちゃん (松谷みよ子)

あとできいたけど、ゆりちゃんの火の玉をみた人、ほかにもいたって。どうしてわたし、くさい、なんていったんだろう。いまでも、それをおもうと、胸がくるしくなる。

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.125

本作は火の玉ボーイの言う通り、ちょっぴりほろ苦い一品となっている。
子供というのは残酷で、思ったことをすぐに口に出してしまう。ひょっとしたら、子供だけでなく大人も、人間という生き物自体がそういう存在なのかもしれない。そして、家に帰って一人になったとき、あああれは言い過ぎだったかなとか、気にしたりするわけだ。自分の口から出た言葉という名の凶器は人を傷つけてしまう可能性があると皆が思って行動すれば、少しは優しい世界になるのではなかろうか。逆もしかりで、言葉には人をほっこりさせる力もあるのだ。

最後のおはなし プーカにご用心 (岩倉千春)

かえりはプーカにご用心。帰りはプーカにご用心。ハハハハハ

怪談レストラン編集委員会 [2000]『火の玉レストラン(怪談レストラン)』p.134

月光がなかったら、このお客は崖から滑り落ちて命を落としていた。この手の愛くるしい見た目に反して、人間の命を狙うといった悪魔の存在は、万国共通認識なのかもしれない。
また、冒頭に登場した雪子の叔母は、このプーカに殺されてしまったという可能性があると言える。

まとめ

「火の玉」について勉強したい人(子供)が最初に読む本として「火の玉レストラン」はベストなのではなかろうか。敢えて海外ものは変わったものを取り揃えたという意図がないわけではないだろうが、人の魂という意味合いを持つ日本ものと、バラエティに富んだ海外ものの対比が面白い。戦争の話も散見され、考えさせられる。

人の魂が火の玉として描かれるのは、彼らの精気が燃え上がる様な炎をイメージするからだと言える。また、動物を抱きかかえたり、人に触れると分かるが、我々生き物の身体をめぐる血液や気は、体温上昇の要であり、それはぬくもりをもたらす。つまり、命とは「あたたかさ」なのである。そんなところから「火の玉」が選ばれたのではなかろうか。


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