学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①
森京詞姫
絵 平岡奈津子 松井雪子 喜国雅彦 ほりのぶゆき 木村千歌 朝倉世界一 内田かずひろ すみれいこ
漫画 タミ 篁よしやす 青木智子
1994年8月11日 第1刷発行
竹書房(BAMBOO KID’S series)
僕は花子さんが大好きであった。
出会いはポンキッキーズで放映していたアニメ版花子さんで、幼かった僕はある朝それを見てしまったのである。それは忘れもしない「もう一台の通学バス」と言う話であった。その話は、男の子があの世行きのバスに乗ってしまって、それに気づいた彼は周りの客に助けを求めるも、ほかの乗客はもれなく死者であったというものである。今見ると話的にも絵的にも、それほど怖くないのだが、タイトルコールの不気味さ、ナレーションの男の人の声の響き、実際の写真画像を背景に使うことで得られる奇妙なリアルさなど、当時のぴよぴよな僕にとってはそれら全てが怖かったのだ。
それから少し年月が経ち、たしか小学校中学年くらいだろうか。花子さんのビデオを取り揃えた僕は毎日毎日それを鑑賞していた。アニメ版初代花子さんは1~4期に分かれていて、それぞれが10話くらいの構成で、4期だけ話数が少なかったと思う。それぞれの放送期間ごとに最後の話が終わると、あの有名な「ほわほわほわほわはなこさ~ん」というマユタンによる神曲がフルで流れる。本編の恐怖におののき疲弊した身体と精神を、マユタンと一緒に神曲を口ずさむことで回復させるのである。1
当時従妹に妹が生まれるということで、しばらく彼女と実家で暮らしていた期間があった。まだ従妹は小さかったが、僕のホラー趣味に興味を示したため、ここぞとばかりに花子さんのビデオを一緒に見たものである。おかげで彼女は今もオタクレベル高めでブイブイ言わせているのでほほえましい限りだ。最近はチラズアートのホラーゲームにはまっているそうだ。
あの頃の僕は「トンカラトン」「さっちゃん」「犬マスクの口裂け女」などを見て、彼らとばったり遭遇してしまった場合の対処法を常に意識していた。トンカラトンに出会ってしまったら「トンカラトンと言え」と言われるまでは絶対にトンカラトンと言わない練習をしていたし、寝るときは枕元にバナナの絵を置いたり、下校の時は「ポマードポマード」とぶつぶつ言ったりしていた。通学路だろうが自宅だろうが、落ち着いてはいられなかったのである。今思うと狂っているが、誰にだってそのような経験はあったものだと信じたい。また、面白いのは数々の作品の中には、花子さんが助けてくれる話、花子さんが出てこない話があり、中には花子さんがその怪異と被害を認識しているにもかかわらず、助けてくれない話というのも存在する。それが「花子さんは僕たち私たちを絶対に助けてくれる心強い味方である」という定義を曖昧にし、恐怖を増長させているのだ。とにかく花子さんに助けてもらうには日々、よい子でいなければならないという謎の錯誤に陥り、生活していたのは良い思い出だ。2
さて、本稿ではそんなアニメ版ではなく、原作について書こうと思うわけだが、原作についても色々な思い出がある。まず言っておくが、原作は怖い。それは著者である森京詞姫の筆致もさることながら、話ごとに変わる絵師たちの描く絵がすさまじい。さらに問題なのは「漫画作品」の存在である。各巻ごと漫画作品が3話程度掲載されている。この漫画が猛烈に怖いのだ。例えば、第1巻に掲載されている「夜、公園のブランコに生首がのっている」という作品。おそらくこの作品を見て恐怖のどん底に突き落とされた小学生は全国に数多いるのは間違いないと思っている。きっと皆の深層心理の中で「トラウマ」として残り続けていることだろう。
前置きがかなり長くなったが、一話一話書評を書けたらと思う。
書評
第一章 トイレにいけなくなるコワイうわさ
うわさの花子さんてだーれ?
ね、花子さんのうわさって知ってる?
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.8
伝説の第一話。0000局の0000番は霊の番号であり、さとしときょう子は花子さんではなく霊を呼び寄せてしまったのだ。ということは花子さんを呼ぶ本当の方法とは何なのか。ここらへんはアニメ版と差異があるところである。
花子さんの必殺技もアニメ版が「幽霊縛りアップリケ!幽霊を闇の世界へ連れ戻しなさい」となっているのに対し、原作は「呪符アップリケ!闇の世界に帰りなさい」となっている。スカートについているチューリップのアップリケが対幽霊の武器になるところが面白い。
本作に収録されている怪異はあちらの世界から、こちらの世界に来て永住、もしくは人間と入れ替わりたいと願っているものが多いように感じる。森京詞姫の怪異に対する根本的な思想が垣間見える。
真夜中のトイレでもう一人のわたしに会った
もう一人のゆり子が、こちらをちらっと見上げ、ニヤリと笑った。
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.25
もう一人の自分と遭遇し、入れ替わってしまう話である。「人面瘡」に近い動機をもっている怪異だが、勝手に出てきて一夜にしてゆり子と入れ替わってしまう点仕事が早い。似た話で、夜中にトイレに行って寝床に戻ると、すでに布団には自分が寝ていたというものがある。部屋まで戻って安心した者にふいうちをくらわす嫌な話である。
四時にトイレにいくと四時ばばあがやってくる
おまえも4時に来~い…!
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.30
本作のトラウマ第一号である。当時この本を買う前に、この話を立ち読みしてカウンターをくらった。
時間+ばばあのネーミングを持つ怪異はたくさんいるが、「4時」台の怪異は特別多い気がする。それは「4」と言う数字が「死」「四次元」などを連想するからであろうか。いずれにしても、全ての時間帯になんらかの怪異が登場する為、安心してトイレに行くことはできなそうだ。
第二章 不思議な生徒たちのコワイうわさ
かくれんぼ 地下室にねむる生徒
このとびらは、地下室に続いているのよ
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.41
僕の小学校には標本室なるものはなかったが「理科準備室」なるものはあった。そこは理科室の奥に位置していて、同じく部屋の一辺が窓に面しているはずなのに、どこか暗かった。よくわからない薬品の臭いが立ち込め、剥製の動物たちの目線を感じる。
本作ではそこにさらに「地下室」があるから驚きである。中には変わり果てた死体と友達が横たわっていたが、死体は自分を見つけて欲しかったのだろうか。かくれんぼで地下室に隠れて、なんらかの理由で入口に鍵がかかってしまったときの絶望たるや、考えただけでも気が狂いそうである。
夜中に歩く生徒
あれ、マサトくん、左ききじゃなかったっけ?
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.47
入れ替わってしまう話である。これからマサトは真夜中の学校を怪異として彷徨うことになるのだろう。本物のマサトと偽物のマサトの利き手が違ったことから、彼らはコピーされた存在ではなく、まったく違う存在なのだろう。したがって、もし次の被害者が女の子だった場合、怪異と成り果てたマサトが彼女と入れ替わった場合、女としての人生がスタートするわけだ。その際どこまで「マサト」としての記憶が引き継がれるかどうかは不明である。
不思議な転校生
おなかでもいたいんじゃない?
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.50
三宅さんが残した血文字の「助けて」は含みがあって面白い。学校のトイレで血文字を書いたときには彼女はすでに死んでいたはずなので、事故現場に幽体が縛り付けられて苦しいから「助けて」と訴えてきたいう見方と、事故のあと病院で生死を彷徨う彼女の幽体が抜け出し学校に来てしまって、あまりの苦しさにトイレに駆け込んで「助けて」という文字を残したあと、幽体の消失と共に病院の彼女が臨終したという見方が考えられる。
また、クラスメイトの「おなかでもいたいんじゃない?」と言うセリフが事故に遭ってお腹から内臓が飛び出てしまった三宅さんを彷彿とさせていて、怖い。
第三章 学校の近所のコワイうわさ
死にたくなる団地
わたしは、花子…。この世界には不思議なことがたくさんあるのよ。いたずらに、霊をしげきしないように、みんなに注意しておいてね。
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.71
アニメ版花子さんでも有名なセリフが登場する。この話に花子さんを呼び出す方法が明記されている。全てのお化けに対して鉄鎚を下すわけではなく、優しい花子さんの一面が垣間見れる話である。
昔僕の叔母が団地に住んでいた頃、よく遊びに行ったものだが、地上から見上げた時、窓にお化けが映っていないか注意深く観察していた。お化けが手招きしていることはなかったが…
アンティークドールのお店
フフフ…これで黒いかみの人形が、二体、またふえたな…
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.77
店に並ぶドールは元々は人間であったのだろうか。何らかの魔術で人を人形に変えるのか、はたまた人を殺してその髪の毛や目玉、皮膚などを使って人形を拵えるのかは明記されてない。どちらであっても不穏である。
ひとりぼっちで帰らないで
ぬうーっと、たくさんの幽霊がマサオの前にあらわれた。
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.80
所謂霊道にマサオは足を踏み込んでしまったのだろう。現れた幽霊がどんな姿なのか、そのあとマサオがどうなってしまったのか書かれていない点が妄想を掻き立てる。
本作に登場する幽霊はコツコツと足音を鳴らす電車鑑みると、幽霊ではなく広義の怪異に存在するものであると言える。それは、幽霊が足音を立てるとは考えにくい為である。
第四章 お兄さんお姉さんから聞いたコワイうわさ
四次元を写すカメラマン
そんな、悲しい幽霊たちを見せ物にするのはやめてね
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.95
花子さんの初ハーモニカと、初けん玉回。花子さんの演奏するハーモニカの音色は霊を穏やかに健やかにあの世へ送り返す効力がある。また、けん玉(の玉?)は霊体に対して効力を有する呪符アップリケとは対照的に、遠距離物理攻撃系の武器である。本作では怪異が持っている「裁ち鋏」に当てて払い落としている。
戦禍に生まれた悲しい怪異を描く。
ワープロの怪
おまえも死ねばいいのに…
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.99
激務の果てに彼氏に振られて自殺した女の情念がワープロという彼女の仕事道具に宿る話。「おまえも死ねばいいのに」というセリフは怪談におけるパワーワードと言える。
レコーディングスタジオの怪
音がでないんですね…。変だなぁ
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.102
こちらは不慮の事故で死んだベーシストの情念が彼の仕事動画であったベースに宿る話。死んでしまったことから彼らが生前使っていた道具に情念が宿るという点で前作と類似している。
この章に収録されている話は 「物に関するコワイうわさ」と言える。
第五章 鏡の不思議 コワイうわさ
鏡に集まった幽霊
この鏡をいつまでも大切にしてね。鏡はすがただけではなく、心もうつすものなのよ
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.122
花子さんを呼んでいないのに助けに来てくれるパターンの話だ。古来より鏡には不思議な力が宿り、魔除けの道具として使われてきた。その事実が、鏡が、どこか怖くも神聖に見える理由であろう。
花子さんと鏡ジグソーパズルをしているひろ美が羨ましいと思った。
真夜中に自分の死に顔がうつる
きのうの夜、手鏡にうつったのは、たしかにあや子の死に顔だったのだ。
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.126
手鏡に映った顔がいつもと同じだったのは、死がすぐ近くまで来ていること、かつ苦しまず死ぬことを予知していたからだろう。あや子もまさか、その日のうちに自分が死ぬなんてことは当然予見出来なかったに違いない。
手鏡の中の女の子
おかしいわね。たしかになお美の声だったのに…。あら、さっきの手鏡。たから物だなんていって、こんなとこほにほうりだしちゃって、しようのない子ね
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.129
話が終わったと思ってページを捲ると現れる挿絵にドキッとしたのは、きっと僕だけじゃないはず…。
第六章 歌にまつわるコワイうわさ
録音されなかった歌
あなたの歌は、かならずファンの人たちにとどけるわ。もうこれで気がすんだでしょう。さあ、やみの世界にもどりなさい
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.141
どこか、本当にあったっぽい話であると感じた。著者の森京詩姫が作詞家であったからだろうか。何となくそういう妄想をしてしまう。
人の首がなる木
ざくろは血の味、人の味…
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.144
あけ美とお母さんの首がなっている柘榴の木を、想像しただけで鳥肌が立つ。柘榴の赤が人間の血液や脳みそを想起させることから生まれた作品だろう。
空き家のまどで手をふる女の子
待ってちょうだい、このケーキ食べてってよ…
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.152
かなり奇妙な話だ。ケーキの載っていないお皿を見せてくる女の子、その顔はやがて老婆に変わっていく。この女の子は皿を無くして首を切られて死んでしまったお手伝いのお姉さん本人なのであろうか。それとも、それを見ていた屋敷の娘なのだろうか。真相は闇の中である。
第七章 みんなのコワイうわさ
さっちゃんのうわさ
さっちゃんはね、さちこっていうんだ、ほんとはね
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.160
名作その一、アニメ版でもトラウマになった子供たちは多いであろう伝説の作品。僕自身も寝る前に枕元にバナナの絵を描いて寝たり、布団から足を出さないようにして寝たり、いろいろな工夫をしていた。
ところで、まゆ美は誰からこの噂を聞いたのだろうか。彼女の前に初めてさっちゃんが現れたのが、彼女が噂を話した日の夜だった。なので彼女が噂を認識した日と、クラスメイトに噂を話した日は同日であると考えられるため、まゆ美に噂を流布した人間は、学校の友達、家族等の関係や距離が比較的近しい人間であると考察できる。翌日まゆ美は普通に登校していて、死んだのは担任の先生一人だったため、その人間は「バナナ」でさっちゃんを回避していることがわかる。
そして、噂を聞いてからさっちゃんが現れるのは1日だけなのか、毎晩なのか、ランダムなのか、という点は永遠の謎である。当時もバナナの絵をいつまで枕元に置かなければならないのか、について悩みに悩んだ挙句、ずっと枕元に置いていた僕はけなげな少年である。
PM六時、学校の黒板
ほかにも人間にのりうつって、黒板の中からぬけだしたいっていう幽霊は、たくさんいるんだ…ここにも、たくさん人間がいるから、ちょうどいいな…
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.171
珍しく大人数の被害者が出る話。人間と入れ替わりたい怪異の話が散見されるが、僕の身の回りにも入れ替わってしまっている人たちがちらほらいるのかもしれない。そう考えるとそわそわしてしまう。「寄生獣」や「クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!」を思い出す。
テケテケを見た
テケテケテケ…
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.172
花子さんによる語り。テケテケにはオスとメスが存在するというユニークで新しい趣向の話である。
PS1によるゲームソフト「学校のコワイうわさ 花子さんがきた!!」に登場するテケテケは確か、下半身のお尻の部分に目があって、見つかると「テケテケテケ~」とすごい勢いで近づいてきた。なのであれは雄である。
怪人トンカラトン
トンカラトンといえ
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.175
名作そのニ、アニメ版ではトンカラトンが現れると背景が赤くなるという今では定番の演出が施されている。トンカラトンに殺されると、自らもトンカラトンになってしまう設定がとても怖かった。そうやって、街にトンカラトンが増えていくのだ。トンカラトンが自転車に乗って現れるのは、以前は人間であったことから人間っぽさを残しているためであろう。
トンカラトンはその動機も意味合いもよくわからないが、どこか可愛いキャラであることは否めない。
第八章 学校のコワイうわさ
ひじょう階だんの写真
うわさをばかにしないでね、本当のことが多いんだから。みんな気をつけてね…
京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.180
最後に現れた花子さんの挿絵が微妙に怖い。噂や伝説を馬鹿にする人たちがひどい目に遭う系の話ではあるが、特に花子さんがお払い等したわけではないので、このあと彼らにどんな災厄に巻き込まれるかは明記されていない。
ポケベルのうわさ
じつはね、ポケベルに変なメッセージがはいっていたの…
京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.184
564219(ころしにいく)という数字の語呂合わせと聞くと、僕が小学校の時にクラスで流行っていた18782(いやなやつ)+18782(いやなやつ)=37564(みなごろし)という計算式を思い出す。僕もポケベルが流行った時はまだ生まれなばかりで、使ったことはない。今の中高生からしたらびっくりツールなのではなかろうか。
修学旅行にこなかった生徒
さようなら
京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.200
アニメ版花子さんにおいてもそのほとんどの背景を実写で表現していたり、ちょうど僕も小学6年生で、日光へ修学旅行に行っていたこともあって、何となく記憶にへばりついている作品である。最後にクラスメイトに見せた「さようなら」の文字は彼なりのクラスメイトに対する最後の挨拶だったのであろう。悲しい話である。
体育館の不思議な話
校長先生が、笑いなが町内会長に近づいていった。
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.205
焼け死んだ校長先生はしっかり町内会長に対して恨みを持っていて、それを晴しに来る点が、人間のそれの強さを顕現していると言える。人に教育を説く存在も恨み辛みは人並みに蓄えているのであろう。
ごみ焼きゃく所のうわさ
だから、この焼きゃく所でさ、人をもやしちゃったんだって
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.106
自殺をしたと言っている怪異と、「人を燃やした」とする噂には奇妙な齟齬がある。この話は自殺は自殺でも、自殺を幇助した人間がいるという点に気づくと怖さがふつふつとしてくる。
まんが
満月の夜、黒猫を見ると電話がかかってくる
24時間いないに444人の人に「黒ネコから電話があった」ってゆわないとっ
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.56
あたし死んじゃうって…
不幸の手紙の電話バージョンであり、その送り主は「黒猫」であるという不思議な話。死んでしまった二人の女の子の死体を確認する限り犯人は黒猫であると考えられるが、その動機は不明である。
最後、倒れているきょう子の大きく見開かれた目が、非常に怖い。
踊り場の鏡
なぜならば別の彼女が毎日僕を脅しているからね
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.108
学校内にある怪異スポットに友達と訪れたら、すでにその友達が怪異と入れ替わっていたという話。鏡の中の本当の彼女がこちらに戻って来れるのは、いつになることやら。
夜、公園のブランコに生首がのっている
のりこ〜
森京詞姫 [1994] 『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!! ①』 p.158
本作のトラウマ第二号である。
そして、花子さん第1巻における最大の問題作である。あれは昔僕が小学生の頃、地元にある今はなき本屋に父と行った時のこと、僕は原作第1巻を発見したのだ。この時まで、花子さんに原作があったことを僕は知らなかった。3そしてあまりの嬉しさに本を手に取りパラパラとページを捲ると漫画作品も収録されていることに気づき試しに読んでみたのがこの話である。ラストシーンの「のりこ」の変わり果てた姿を見て僕は白目を剥いた。それから二週間は眠れぬ夜を過ごすことになる。布団で目を閉じれば、あの生首の描写が浮かび上がったのだ。
本作では、夜中になるとブランコの上に生首がのるという噂と、その結果が描かれるだけで、原因やそれを成す怪異の存在、なぜのりこが襲われなければならなかったのか、などと言った要素が全く描かれていない。ページ数も6ページという短編で、コマ割りも一切無駄がない。全てはラストシーンの衝撃に向けられた前準備であり、上記の要素が描かれない点が逆に理不尽さを強調させ、恐怖を煽るのだ。のりこの左目から流れる涙、取れかけの髪ゴム、切れ味の悪い刃物で断ち切られたような生首の切断面、半分飛び出た目玉、それらが完璧な構図と画力をもって、読者を戦慄させるのである。
まとめ
僕は花子さんの原作の、一般的な読者層であろう小学生に対しても一切容赦をしない感じがとても好きだ。子供向けの「怖い話」には多少なりとも「教育的側面」が付随しているものだ。それは、例えば逢魔が時(夕方以降)にはお化けが出るから、早くおうちに帰ろう、とか、いつも正直でいなさい、といったようなことなどである。そういう教育的側面が全面にですぎている作品は、子供のころの僕にとってもあまり好きではなかった。まあ、そんな偉そうなことを言っておいて、怖い作品に出会うとそれを読んだり見たことを心から後悔するのだが笑。
花子さんには、何も悪くない子供が怪異に襲われる作品や、花子さんが助けに来てくれない理不尽な作品がたくさん登場する。世間一般的に良しとされている行為が怪異に対しても良しとされるのかと言う点も考えさせられる。そしてそれは怪異に人間の価値判断は通用しないということと、転じて社会の理不尽さや不合理ささえも示唆していると言える。
ところで、この本には付録として、そでに呪符アップリケのイラストがあって切り取れるようになっている。切り取ったあとは栞として使用できる優れものだ。その効力は「この本を読むときに、このしおりを使えばお化けがよってきませんよ。」というものだ。しかし僕の本にはそでから呪符アップリケが切り取られて、それが見当たらない。ちなみに僕は切り取っていない。誰ですか切り取ったのは、妹かな(怒)

あれ、これ、お化けが寄ってきてしまうのでは…?
- この楽曲は今でもしっかり聴いている。歌詞が良いのである。
また、新版からの楽曲ではあるが「やみ子さんもくる!?」も僕の聴くレパートリーに入っている。 ↩︎ - 例えば「人食いランドセル」は主人公の女の子が新しいランドセルが欲しいという「欲」を出してしまい、見ず知らずの人からランドセルを受け取ったことで怪異に襲われることになる。そのことから彼女に少々の帰責性があるため、花子さんは助けてくれなかったのではないかという推論をし、自分は「欲」は出さないでおこうとしていた。
まんまと怪談の教育的側面のカモにされてしまったのである笑 ↩︎ - 原作の初出が1994年8月11日、アニメ第1話の放映日が1994年8月14日であることをみるに、原作とアニメはほぼ同時リリースであることがわかる。また、著者である森京詞姫についての情報は極めて少ない。ネットで調べても思うような情報は見つからない。原作に記述されている「略歴」より、彼女は脚本家、作詞家としてデビューしたらしい。ポンキッキーズはフジテレビ系列の放映であった為、脚本家として同局の仕事を請け負ったりしていたのだろうか。いずれにしても謎多き人物である。 ↩︎


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