鼻
曽根圭介
2007年11月25日 初版発行
角川書店(角川ホラー文庫)
このタイトルを見た時に、芥川龍之介の「鼻」が脳裏をよぎった。
当然、それとは全然違った雰囲気を醸し出している本作だが、「鼻」にまつわるコンプレックスという概念が描かれていると言う点では類似している。
圧倒的な「二度読み推薦本」であり、一回目と二回目では面白さは倍になる作品なので、是非とも複数回読むことをお勧めする。
10年以上経過しての再読であったが、とても楽しめた。
著者である曽根圭介は2007年4月に本作「鼻」で第14回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した翌月、「沈底魚」で第53回江戸川乱歩賞を受賞している。所謂ダブル受賞だ。また、彼は「身を持ち崩すことが人生の目標となっている」と述べていて、なかなか風変りな一面を持ち合わせている。1
今作は表題作「鼻」のほか「暴落」「受難」を収録している。書評としては「鼻」のみ記述しようと思う。
第14回日本ホラー小説大賞短編受賞作品。
あらすじ
テングのクズ野郎どもめ。特務隊、やつらを甘やかすんじゃねーぞ
曽根圭介 [2008] 『鼻』 p.191
その世界では、ある顔の特徴から彼らは「テング」と呼ばれ、差別されていた。
「私」は健常者である「ブタ」として生きていた。「私」は医者であり、かつてテングだった娘に対してブタへの転換手術を行った。しかしその手術は法律で禁止されていた。そのことを嗅ぎつけた救国青年団のマサキは「私」に揺さぶりをかける。
「鼻」に囚われたある二人の男の数奇な物語。
書評
そして私は虐げられた人々を救うために、これからもこの身を捧げる。
曽根圭介 [2007] 『鼻』 p.270
もう過去に生きることはない。
所謂「姉飼」のような作品なのかなという僕の予測は華麗に壊された。
本作は「叙述トリック」あり「ディストピア」ありの「ホラー作品」と言って間違いないだろう。字体の異なる二人の語り手が物語を進めていくが、最初はそれらにどんな関わりがあるのか、全くわからなかった。僕がそのトリックに気づいたのは、「桜のマークにエスの文字のワッペン」を付けたマサキが登場してからである。
「私」が語ったディストピアはすべて、通り魔事件の被害者になった彼が掻き立てた妄想に過ぎなかった事が明かされる。しかし、「俺」の刑事であるにも関わらず、暴力、売春を行う彼の生きざまは、ある種の「ディストピア」的側面をもっていると言える。
「俺」の自己臭恐怖症に起因し、鼻を削がれた「私」がヒトラーに傾倒し、独自の妄想世界を形成するという構図は秀逸である。「俺」が「私」に近づいたのも、あの時鼻を切り落とした彼が、今どうなっているかという好奇心によるところが大きい点が非常に面白い。
「私」の妄想世界において、「俺」は少年に見えている。それは「私」の通り魔事件での経験が、いつだって権利を奪われるのは子供で、救いを求めているのも子供であるという固定観念を生み出したことによるためだと言えそうだ。また、「私」とマサキの会話が実際にはどのように展開されていたのかについては、判然としないところがある。いずれにしても「正樹」の性格の悪さはどちらの世界においても共通であり、元父親に小遣いをせびりに行っていたのは間違いなさそうだ。
まとめ
皆さんにはコンプレックスってありますか?
僕は10代のころ、顔にできている複数の「ほくろ」がいやでいやで仕方ありませんでした。このほくろさえなければ、僕はイケメンだったのにと、本気で思っていました。
しかしある日突然、思ったのです。
あれ、ほくろがなくても、僕イケメンじゃなくね?
不思議なことに、その瞬間からほくろの悩みはどうでもよくなりました。
これは、決してニヒリスティックに言ってるわけではないのです。
皆さんにはコンプレックスはありますか?
- 曽根圭介 [2008] 『鼻』 p.271 解説より ↩︎


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