【書評】湘南人肉医

湘南人肉医

大石圭

2003年11月10日 初版発行

角川ホラー文庫

大石圭作品で初めて読んだのがこの作品で、この作品の事は今でも鮮明に覚えている。なぜなら、僕が高校生になって初めて読んだ作品であるからだ。徒歩登校の中学校から、電車登校の男子校に生活スタイルが変わり、行き帰りの電車の中で読み耽った。赤黒い表紙の絵と、おどろおどろしいタイトルに惹かれてすぐに買ってしまった。内容もグルメ(笑)で衝撃的であった。
家族や友達、ほかの誰にもこの衝撃的な作品のことを教えたくなくて、自分一人の秘密にして、にやにやしながら読んでいた。そうする事で、不思議と世界で自分だけがその活字を追っている様な気がして、当時の僕は嬉しかったのである。
こののち、他の大石圭作品を読んでいくことになるのだが、ここではそんな思い出深い「湘南人肉医」について書評を書こうと思う。

目次

あらすじ

僕には食べる必要があったのだ。そうしなければ、あの絶対的な飢餓感は決して満たされることはなかったのだ。

大石圭 [2003] 『湘南人肉医』 p.33

湘南で美容外科をしている小鳥田優児。彼の表の顔は神の手を持つ天才美容外科、裏の顔は女を殺し、その肉を料理して食べるシリアルキラーであった。そんな彼の犯罪の記録が叙情的に描かれる。

書評

グルメ作品

右心室。右心房。左心室。左心房。
心臓は小さな臓器だけれど、必ず4回に分けて、大切に食べることにしている。

大石圭 [2003] 『湘南人肉医』 p.38

この本は、読んでいるとお腹がすく。
と言うのは嘘ではあるが、各章の冒頭には、世界のカニバリズム豆知識が掲載されていたり、小鳥田が人肉を料理するシーン、食すシーンが詳細に書かれていたりと、料理に使われている肉が人肉でなければ、この物語はグルメ作品たりえる。
もし、この物語の小鳥田に殺される女を牛や豚に置き換えたとすると、それは立派なグルメ作品だ。そして逆に身近にあるグルメ作品に出てくる牛肉や豚肉を、人肉に置き換えたとすると、それは立派なホラー作品になる。なにを当たり前のことを言っているのかと思われるかもしれないが、それだけ「人肉」と言うのはホラーにおいて、一瞬で白を黒にするような強大なパワーを秘めているということがわかる。

小鳥田について

もはや牛や豚の肉を食べることなど考えられなかった。そんなことをするのは、牛や豚と性交するような、とてつもなくおぞましいことに思われた。

大石圭 [2003] 『湘南人肉医』 p.80

彼はなぜ女の肉を食べるのだろうか。手術で摘出した女の脂肪をこっそり持ち帰って食べたあの日から、彼はそれに心酔している。それは空腹を満たすための行為でないことは明白であり、彼の性欲を満たすための行為に他ならない。また、生きている女に対しては口淫ばかりを要求する点からも、彼の中での性行為と言うのは女の肉を嚥下することのみによって成立するのである。
彼が海外に20人ほどの養子のような子供たちを抱えている点に関しては、作中言及されているが、この行為はほとんど彼の自己満であり、少しでも罪滅ぼしのつもりで海外へ送金しているのだろう。赤子のスズランを殺せなかったのは、曲がりなりにも父親のように彼等に接し、生活の良し悪しも手紙で共有していることが脳裏によぎった為であろうか。彼等と同じ子供には手をだせなかった。ただし、小鳥田はスズランを大きくしてから食べようとしている為、もし海外の彼等と小鳥田が、彼が作った合成写真のように生活空間を共にした場合、やはり殺して食べてしまうだろう。妊婦である秋元加奈子も手にかけている為、真の意味で彼は女の肉を食べることにしか目がないと言えよう。
彼は美容整形で儲けた金を虚栄心、ナルシシズム、自己顕示欲を満たすための金と軽蔑して、その金で海外の恵まれない子供に寄付すると言っているが、彼自身も歪んだ性欲や、底知れぬ食欲、だらしない体型という個性をもっている。典型的な人に厳しく、自分に甘いタイプである。

老婆の謎

僕が人を殺す権利を手に入れたのは9歳のときだった。

大石圭 [2003] 『湘南人肉医』 p.162

この物語唯一として、最大の謎が小鳥田が子供の時に出会った老婆の存在である。何度読んでも老婆の真意は不明である。そして老婆のセリフを真に受けて、自分には人を殺す権利があると思い込む小鳥田の心理も不明である。
またこののち、小鳥田は10歳で野外学習で貯水池に行ったとき、今度は仙人のような翁に会い、彼に唐突にもらった毒を貯水池に流している。結局その毒は偽物だったようでたくさんの人は死なずに済んだらしいが、小鳥田はこの時人を殺す覚悟をしたそうだ。
この老婆と翁との一連のやりとりは何を表しているのだろうか、老婆にもらった「人を殺す権利」を翁の一助で行使する。これは、彼等の行動の解釈や、意義、真偽が問題なのではなく、この時点で小鳥田自身が人を殺す覚悟ができていた、という事が大事なのであろう。僕は良い人なのだから人を殺しても良いと、老婆の口車にのったのは、彼が齢9歳という子供であったからではあるが、彼はこの事を大人になるまで心に秘めている。要はこんなことを持ち出すほど、彼の免罪符は困窮していたと言える。

スズランの考察

愛しいスズラン。
早く大きくなるんだよ。

大石圭 [2003] 『湘南人肉医』 p.266

小鳥田がショッピングコンプレックスで誘拐した赤ちゃんに「スズラン」と名前を付けた理由は何だろうか。試しにスズランの花言葉を調べてみると、「純粋」「かわいらしい」「愛らしい」などとポジティブな言葉が並ぶ。小鳥田のスズランに対するセリフからも、純粋で愛らしい赤ちゃんにスズランという名前を付けたのは納得できる。ただし、誕生花として割り当てられている日程は主に5月に集中しており、スズランの推定誕生日1と照らし合わせてみても一致はしない。その他特記することと言えば、可愛い花言葉とは裏腹に、スズランには毒があることくらいだろうか。
そしてスズランの鈴のような丸い花が、人の生首に見えてきて仕方がない。

まとめ

細切れになった彼は、ホイコーローの具材として、ホイコーローのたんぱく質代表として、胸を張ってホイコーローをしていた。ジューシーで柔らかく、口の中で噛みしめるたびに、彼の生まれたときのことや、育った場所、食べたご飯、ガススタニングによってその生涯を終えたときのことなどを想像した。
この作品がホラーたりうるのは我々が人間だからである。誰も普段肉料理を食べるときにその肉がどのように屠殺されて食卓に並ぶかなんてことは考えない。小鳥田は、その「人間だから」という部分が欠損してしまっていたのである。彼は女の肉を食べるとき自分の欲を満たすがために、その女が可哀そうだなんてことは考えないのである。
僕は菜食主義者でも、当然人肉嗜食者でもない。
ただ、豚に心から感謝して豚肉を食す豚肉嗜食者でありたいと強く思った。


  1. 小鳥田がスズランを誘拐したのが8月末であり、彼が推測ではスズランは生後5-6か月である為、スズランは3-4月の生まれだ。 ↩︎
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