【書評】少女椿

少女椿
丸尾末広
2003年10月24日 第1刷発行1
青林工藝舎

厳密にいうとこの作品はホラーではないのかもしれない。ただ、丸尾末広作品は大好きであるため、せっかくなので彼の代表作をここに残しておこうと思う。
丸尾末広作品との出会いは、中野ブロードウェイであった(ミラクルな出会いは大体いつもここである笑)。駕籠真太郎や早見純といった所謂エログロナンセンスものにハマっていた時期がある。僕がよく行く中野ブロードウェイ3Fのまんだらけ本店2のある棚には彼らの作品がすべてそろっていたのである。そのため、訪れた際は必ずその棚をくまなくチェックする癖がついていた。そこに「丸尾末広」を見つけたのである。ジャケ買いで色々な作品を購入した。その中で一番最初に読んだのが確か「少女椿」である。ぺらっと頁をめくり、第1話「忍耐と服従」の始めの見開きを見た時には驚嘆したのを覚えている。それはその見開きだけでこの物語が完結しても良いくらいの説得力を孕んでいた。

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目次

あらすじ

うわ~ん!!

丸尾末広 [2003] 『少女椿』 p.159

12歳で両親を失い、見世物小屋に売られた少女みどりの日常を描く物語。
奇妙な役者が蠢く陰鬱な小屋では毎日筆舌に尽くし難い出来事がみどりを襲う。

書評

死んでしまえ!!

丸尾末広 [2003] 『少女椿』 p.152

まず「少女椿」の元となる作品である浪花清雲作「少女椿」にも触れておこう。2
清雲作「少女椿」は彼が、街頭紙芝居として披露していた作品である。本作のみどりは見世物小屋でなく少女レビュー団という劇団に入ることになる。身売りというよりかは劇団の小間使いに誘拐されてしまう。しかし最終的に両親と再会することができるというハッピーエンドの作品である。母が寝ずに造花の内職をしていたり、みどりが金を稼ぐために花を売ったりするシーンは哀愁を感じてさもしい気持ちになってしまう。

少女みどりに降りかかる様々な事象は何か「意味」があるようで、実はなかったりする。例えばフタナリカナブンが外で立小便をしたとき、みどりにその局部を見せつけるシーンがある。この時点で自分フタナリやないやないかいというツッコミをしたくなるがそれはおいといて、次の瞬間カナブンの局部と、みどりの首が伸び始める。当初僕は、伸びたみどりの首をどこまでも追い続けるカナブンの局部と言う点が、カナブンが妄執的であることのメタファーであるとか、そいういったナンセンスな幻覚を見てしまうほど、みどりは精神衰弱しているのだとかという想像を膨らませていた。だがこのシーンを作者が描いたのは「局部が伸びたら面白いだろう」といったくらいの動機によるものではなかろうか。そして実際に局部や首が伸びていようがいまいが、そうでないとしたらそれが誰視点の妄想なのかといった疑問が浮かぶが、そんなことはどうでも良いのだ。もし違ったら怒られてしまうが「少女椿」はそういうエロやグロを単純に淡々と表現しているのではなかろうか。であるから、急に出てくる諧謔的なシーンや、状景のシーンが恐ろしく、美しく見えるのだ。中でも僕が好きなシーンは鞭棄が神社で腐敗した右腕を見つけるところである。おびただしいアリが群がったそれはところどころ皮膚がはがれていて、肉や骨がむき出しになっている。これは幻肢痛ならぬ幻視死相ともいうべきか。これから殺される鞭棄の未来を示唆しているのではないか。みどりに嫉妬したワンダー正光が見せた悪趣味な幻覚であることは明白であるが、どうしてもその先の意味を邪推してしまう。そして次の話では早々に鞭棄は蟻地獄の幻影に飲まれた涯に泥を口につっこまれて死に至る。
みどりというかわいらしい少女と接する役者たちが粒ぞろいであることがこの物語をどこまでも気味悪くしているのは言わずもがなではある。単純に「人間」がいるところへ奉公に出されるのとわけが違う。嫌悪感漂う仲間たちと、少女であるみどりのギャップがより恐怖を倍増させるのである。そして、令和の時代を生きる読者はその仲間たちに嫌悪感をいだくことにすら、罪悪感を感じ、気分が悪くなってしまうであろう。そういうカラクリも丸尾末広が意図的に作り出した陥穽であるように思えてならない。きっとそういう嫌悪感、罪悪感といったストレートな感情を揺さぶってくる点が丸尾末広作品の魅力と言えるだろう。

転じてそれらは「恐怖」に収束する為、ここに記述する意義があったと自己完結してこの稿を閉じる。

まとめ

今から十年くらい前、靖国神社のみたままつりに遊びに行ったときに見世物小屋に入ったのが、僕の最初の見世物小屋体験であった。当然「少女椿」のような感じではなかったけど、ずっと見たかった「へび女」を生で見たときは感動した。あとは鼻に紐のようなものを入れたり、頬っぺたに長い針を刺したりしているおじさんたちがいて、傷口が化膿しないか心配になってしまったものだ。あれからだいぶ時間が経ち、時代も変わってしまったので、あのような興行は世間から排他されているかもしれない。それが正しいのかどうかは僕にはわからないが、出演する人たちが自らそれを望んでいるなら、この文化はいつまでも残っていてほしいと思う。今でもやっているならぜひまた見に行きたいと思う。

あ、あと改定前の「少女椿」やっぱ読みたいなぁ(にやり)


  1. 本作は改訂版である。改定前の「少女椿」は株式会社青林堂より、1984年9月25日 初版発行である。 ↩︎
  2. 近藤裕(編) [1985] 『東京おとなクラブ・別冊 丸尾末広 ONLY・YOU』 p.5 ↩︎
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