怪談レストラン② 化け猫レストラン
怪談レストラン編集委員会・責任編集 松谷みよ子
絵 かとうくみこ
1996年7月10日 第1刷発行
株式会社童心社
怪談レストランシリーズ全50巻あるうちの第2巻目、化け猫レストラン。
表紙にはタキシードに身を包み、真っ赤な口が耳まで裂けた、当レストランのオーナーが描かれている。1それだけでも十分問題なのだが、もっと深刻なところを言うと、彼が持っている皿には血が滴る右手が載せられている点であろうか。
彼の名は化け猫さん。
お化けギャルソンとはまた違った、どこか狡猾で胡散臭そうなオーラを纏っている。もはやこの表紙の絵がこの化け猫レストランのすべてを表していると言っても過言ではない。もはやこの表紙の絵がこの化け猫レストランのすべてを表していると言っても過言ではない。このレストランには深く、そして哀しい、ある親子猫の物語が染みついているのである。
僕の実家には、ずっと猫がいた。多い時で7匹飼っていた時があり、近所からは猫屋敷などと呼ばれていた。家の中に猫専用の部屋があるくらい、家族で猫が好きであった。当時、そんな猫屋敷の猫部屋で大好きな猫に囲まれながら、この化け猫レストランを読んだのは良い思い出である。
あらすじ
ようこそ 化け猫レストランへ
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.3
小学三年生の男の子二人と、その片一方の中学生の兄、三人で廃病院へ写真を撮りに行った。なんでもこの病院は戦時中、生体解剖を行ってたようで、終戦になると人は誰もいなくなり、もぬけの殻となった。
院内を探検する三人は手術室に入り込む。そこで手術台にのっかる金色の目をした一匹の黒猫に出会う。それがこの世のものではないことを察した三人は一目散に病院をあとにする。
そして幾年か幾日か、月日が経ち、廃病院はいつのまにか化け猫レストランになっていた。読者はゲストとなり、当レストランでお料理(お話)をいただくのである。
作品は全14話のオムニバス形式で描かれ、内3話は化け猫レストランに関する話、内11話は広義のホラーに関する話で構成されている。「猫」に関する話が多めの印象。若干「魔女」に関する話も含まれる。p24,25 レストランのメニューを模した目次が非常に面白い。
メニュー
最初のおはなし 化け猫レストランはむかし
にゃーん
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.13
普通廃墟に猫とばったり鉢合わせしても怖くはないと思うが、三人が無我夢中で逃げ出すほど、この猫は異常なオーラを放っていたのかもしれない。急に手術台に現れたというのも原因の一つか。
作中冒頭において、当レストランが戦争と関係があることについて記述されている。無論子供たちにとってはそれは、生体解剖という怖い話どまりの要素になっているという点が、とてもリアルである。
猫のおきもののおはなし 魔女の黒猫
しまった! 十三日の金曜日だ
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.22
化け猫レストラン2に飾るという意味ではとてもナイスな置物である。13日の金曜日に主人によってこの置物が隠された先ではどんな事が起きているのだろうか。
あの猫はわたし
だけど、あんたがきずつけてくれたおかげで、わたしは魔女の仲間からぬけだすことができたんだよ、感謝してるよ
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.31
子供を狙う猫の腕を傷つけ追っ払い、後日その猫(魔女)に再会したところ、感謝されてしまうという作品。これは怪異には怪異の都合があるということで、必ずしも傷つけることで恨まれるわけではないということを示唆している。
しかし、それよりも奇妙なのはこの猫(魔女)は主人公の顔見知りであったことである。再会時普通に二人が会話しているところを見ると、仲は良さそうに感じるが、そんな母親の子供に対して、この猫(魔女)は魔法をかけようとしていたのか。誰も信用できない(してはいけない)ことの教訓か。
恋人は魔女
ヒャーッ、おまえはさっきの白猫。魔女だったのか!
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.39
魔女である可能性が高かろうが、すり寄ってくる猫をサーベルで傷つけたり、脚を一本失っても病院にも行かずに自宅のベッドで寝込んでいたり、登場人物たちの言動が作品全体に渡り暗い雰囲気を漂わせている。
作品はとなり村のむすめ宅に駆け付けた兵士のセリフで終わっており、その真意が分からないところである。
魔女を退治できて良かったのか、それとも大好きな娘を傷つけてしまって良くなかったのか、いずれにしても、冒頭にある通り、魔女がいたる所に住み、忌み嫌われる時代の話であろう。どこか哀しい話である。
こんな晩
ちょうど、こんな晩だったわねえ
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.49
怪談としても有名な「こんな晩」を化け猫レストラン風にアレンジした作品。
この作品は子猫を海に投げ捨てられてしまった母猫の復讐劇であるが、しっかりとどめを刺すところまで描写されている。事故後引き上げられた車からは、ミミはおそらく見つかっておらず、早川さんが事故の直前車内で見たミミは、彼の子猫を捨ててしまった罪への意識が見せた幻かなにかだったのか。
それにしても「ミミ、どこへいってたんだ。ずいぶんさがしたんだぞ」というセリフは、人間の図々しさ、白々しさを象徴するとても良いセリフである。
黒猫の家
火事、火事よ!
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.58
黒猫の親子の復讐物語。
家が燃えて真っ黒になるのは黒猫のメタファーか。また、この家族が引っ越してくる前この家は半年ばかり空き家だったそうだが、前の住人、大家さんがどうなったのかは不明である。猫たちを手にかけた大家さんの所有する不動産(モノ)ですら黒焦げになるということは、大家さんはいったいどんな事になったのか、想像するだけで恐ろしいものである。
机の上の白い花束
おまえは新入りなのに、なまいきなんだ!
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.69
流される夢、それは四人全員が見たのだろうか。p72の挿絵には明らかにストヤンのような子供の後頭部が描写しゃれている。ベスコとストヤンのみが夢を通じて、実際の川に転送されたのだろうか。詳細は不明である。いずれにしても、子供のすることは時に残酷で怖いものである。
おどる猫
バアサン、コンヤノ、コノコト、ダレニモ、イウナ。イイナ
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.85
この手の、怪異と人間が約束をして、約束を破った人間に不幸が訪れる系の話はとても多いものである。それだけ、人間というものは約束を破る生き物であることの表れであろうか。しかしながら、今まで一緒に過ごしてきたおばあさんを殺してしまうアカは中々シビアではある。それもこれも、人間と怪異の常識は同一でないということを示唆しているのであろう。
死人と猫
猫めっ、はなれろっ
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.93
葬式に猫を近づけてはならない、という迷信の起源となった作品。昔から猫は神妙な生き物であると思われていたからか、またどこかで調査をしたいものである。
猫の王さま
おれが猫の王さまだ
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.98
住んでいた猫と、道端で会った猫がどのような関係であるかは不明だが、猫とは、本来の故郷との繋がり、ほかの猫たちの関係などは、飼い猫になることで消去されるものではなく、好き勝手に人間の世話になり、自分のタイミングで出ていく、そんな自由の象徴のような存在である。
家を出ていくシーンで、ありがとうの一つも言わないところが、最高にかわいい。
花嫁がふたり
こいつだ!
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.106
姿かたちがそっくりな二人の花嫁の、偽物をあぶり出して退治する作品。
自らの首を手に取り、髪をとかすシーンは中々怖い。この作品、何が奇妙かというと、本物の花嫁が狼狽していない点である。まるで、偽物がいてもその平常心乱されることなく、平然としているのである。しかしそれは、この偽物がそれほど「悪」でないことを示唆しているのではなかろうか。化け猫を退治したあとの、真の花嫁の描写が描かれないのは、きっと彼女だけが大粒の涙を流して、彼奴の死を嘆いていたからではないだろうか。
猫、学校へいく
こんど、ぼくのこといじめたら、こうだからなっ
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.114
僕が子供の頃に読んだ話の中で強烈に印象に残っているのがこの作品である。
家で大事に飼っているとっとが、芳夫が学校でいじめられていることを悟り、仕返しに行くのが何とも痛快で、愛おしかった。彼がお腹が痛いといって学校を休む時は決まって、クラスメイトの幸一にいじめられたときであることをしっかり理解しているとっとと、彼の絆が羨ましかった。
担任の先生が家に来た時ににやっと笑うとっとがなんともキュートである。
デザート 荷物の猫
だって、うちの猫は死んでいたんだ
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.124
この話は怖い。
この話を「デザート」という位置づけに選んだ怪談レストラン編集委員会の皆さまのセンスに脱帽である。チョコレートコーティングされた柿の種の中にさらにチョコレートが入っているような感じである。それは、現代でいうサイコパス診断に近い恐怖を孕んでいる。なぜ死んでいる猫を運んでいたのか。この客は単に死んだ猫をどこか遠い場所に運んで火葬し、埋葬させたかったのかもしれないが、それなら火葬した後で遺灰を運べば済むのではないか、なぜ、死体をそのまま運ぶのであろうか、などと言った妄想が次から次へと膨らむのである。
最後のおはなし ハンバーグ、おいしかったですか
いかがです。ハンバーグ、おいしかったでしょう
怪談レストラン編集委員会 [1996]『化け猫レストラン(怪談レストラン)』p.136
「最初のおはなし 化け猫レストランはむかし」にて、化け猫レストランの建物はかつて病院で戦時中生体解剖が行われて…という点は単にホラー要素を強めようとして書いていたのだと思っていた。しかしそうではなかった。
戦時中、物資も食物も乏しかった日本のレストランでは、牛豚の肉の代わりに猫の肉を使ってハンバーグを作っていたそうだ。その時に親をハンバーグにされた黒猫が、人間への復讐を誓い、化け猫になった。
そして、彼はかつて人間が人間を生体解剖という大義名分を掲げて殺しを行っていた病院をレストランの舞台に選んだのだ。
化け猫レストランで振舞われる肉料理の数々、その肉は紛れもなく人間のものであった。この時代を超えて人間に復讐をし続ける黒猫の所業は異常であり、そのセンスには感嘆せざるを得ない。
まとめ
ペットの二大巨頭として犬、猫が挙げられるであろう。外を見れば犬を散歩している人はたくさんいるし、SNSを見れば飼い猫のコンテンツが溢れている。人間と彼らには絆があり、お互いが幸せでいてくれることを願いたい。
ところで、化け猫は存在するが化け犬は存在しないのはなぜか。厳格に言うと呪詛的観点から犬神といった概念は存在するが、化け猫のように、全世界津々浦々にわたって個性的でキャラクタライズされたそれは存在しないように思える。それは、猫に宿る捉えどころのない神妙な性質がその原因の一つであると考える。あれだけツンとしていたのに、突然甘えてきたり、しばらくしたらこちらに見向きもしなくなる。そういった犬とは違う飄々とした点は、多くの人間が脈々と紡いできた口承文学や書面文学に大いなるインスピレーションを与えてきたことだろう。
ブログ冒頭に書いた通り、僕の実家にはかつて多くの猫がいた。彼らは僕の生まれる前から実家に住み着き、僕は彼らと共に育った。無論当時のメンバーは誰一匹生きてはいないが、この前久しぶりに実家に帰って旧猫部屋で眠った日、彼らが夢にでてきたのだ。ベタな話で申し訳ないのだが、事実である。それは、一つの布団でみんなで眠る、幸せな夢であった。その日以降、彼らが僕の夢枕に立つことはただ一度としてない。
- 作中を通して、化け猫さんは登場するが、化け猫レストランをつくったのは別の黒猫である。化け猫さんと黒猫がどういう関係なのかは不明である。若しくは黒猫=化け猫さんで変化の術のようなものを使えるという説もあるのだろうか。 ↩︎
- この置物が化け猫レストランに置かれているかどうかは不明(記載なし)
しかし、p16,17の見開きで明らかに化け猫レストランに置物が置かれている描写がある為、この話は化け猫レストランでの話であると仮定する。
主人は人間であり、Mさんは常連客であるらしい。主人は毎回人肉料理をこしらえ、Mさんは毎回それを食べているのだろうか。二人は化け猫さんとどのような関係であるのだろうか。Mさんが化け猫か、その他の怪異だったら面白い。
もしくは、かつてそのようないわくつきの置物を化け猫さんが買い取って、化け猫レストランに配置したという可能性も否めない。 ↩︎
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