【書評】Re:Re:Re:Re:ホラー小説のプロット案

Re:Re:Re:Re:ホラー小説のプロット案
八方鈴斗
2024年12月23日 初版発行
株式会社KADOKAWA

モキュメンタリーホラーを何冊かまとめて購入した時の一冊。
昨今カクヨム初のホラー作品を書店で多々目にする。どの作品もそのジャケットはホラー味満載で、すぐ買ってしまう(笑)。
今回はそんな「Re:Re:Re:Re:ホラー小説のプロット案」について、書評を書こうと思う。

目次

あらすじ

だとすると、この子は何の「顔」を怖がっていたのか。

八方鈴斗 [2024] 『Re:Re:Re:Re:ホラー小説のプロット案』 p.35

新作小説の発表に苦戦する「私」は、小説のネタ探しのためにネットサーフィンや過去のニュース記事を漁る日々をおくっていた。
それぞれの当事者たちの常軌を逸した行動、何の関連性もないと思われた事象はやがてある共通項を示す。
「顔」の怪異がもたらすモキュメンタリーホラー。

書評

だったら、あなたの後ろにいるのは、なに?

八方鈴斗 [2024] 『Re:Re:Re:Re:ホラー小説のプロット案』 p.329

人間は三つの点を見るとそれを「顔」と認識する。所謂シミュラクラ現象だ。そしてこの現象はパレイドリア現象に包含されるうちの一つである。シミュラクラ現象が人間の「顔」を想起させるものであるのに対し、パレイドリア現象における想起物は人間の顔に限定されない。さらに視覚情報のみならず、聴覚情報やその他の感覚にまでスコープを広くもつ性質がある。夜中に歩道をのたうち回るレジ袋が幽霊に見えたり、木々のざわめきが幽霊の声に聞こえたりするのはまさしくパレイドリア現象であると言える。

思えば世の中で見聞きする幽霊を「見た」、幽霊に「触られた」、幽霊の声を「聴いた」などの、「おばけ話」の類はすべてこのパレイドリア現象で片が付くのではないだろうか。実際は大体が「勘違い」、その例外として「科学的事象」が起きている場合がほどんどだが、まれに例外の例外に出くわすことがあり、それはその事象が「本来の例外として処理されるまで」所謂「本当のおばけ話」として世間は認識する。そういった点を踏まえると、この作品で非常に面白いのは、それを認識することができる人間の特殊性が可視化されていることである。稼ぎ力やカリスマ性を持ち合わせた者、冷酷で残酷な者、そういった特殊性をもつ者が本作における「顔の怪異」を認識できるのだ。ただし、この特殊性は伝播する特徴がある。パレイドリア現象が主観的感覚であるという前提を崩し、客観的に認識し得る点を特殊性の有無からアプローチした点が非常に秀逸だ。

そしてこの物語がモキュメンタリーホラーであると言う点が、この物語のオチと深く関わっている。本作は、「私」が書く小説の中で「私」が小説を書いているという劇中劇という構造をもつ。そして完成した作品を「私」はカクヨムに掲載する。その一連の動機が、「顔の怪異」によるものであると言うことが、本作をモキュメンタリーホラーたらしめているわけだ。本作を読んだ一定の人間が「顔の怪異」を認識しだすことを示唆している。タイトルにある「Re:Re:Re:Re:」もこのような顔の怪異の呪いが永遠に繰り返されるという再帰的なオチを表しているのではなかろうか。

この作品で僕が興味深いと思ったのは、この再帰的呪いの件ではなく、「この世界だって、どうせ誰かの作った創作物みたいなものですから」という一文だ。今日の朝ごはんは白米と、豆腐とわかめの味噌汁、玉子焼きにたこさんウインナーもつけちゃおう。という僕の決定は、本当に僕の意思に基づいて決定したものなのだろうか。「顔の怪異」などという強力なやつでなく、もっと「ささやかな何か」によって操作されている可能性はなかろうか。この世に生きるすべての生物がそんな何かに操作されているとしたら、確かにこの世界は誰かの創作物になるであろう。

そんな取り留めもないことを考えて、今日も一日が終わる。

まとめ

僕は子供の頃、実家の天井の木目が人の顔に見えて怖くて怖くてたまらなかった。それだけでなく、押入れの壁の木目、庭の木の木目、廊下の木目と、「木目」には本当に悩まされたものだ。「木目」はそれ単体でも目玉のように見えて怖いし、経年変化に伴いその「趣」を変えることで、新たな「怪異」を生み出すこともある。要は見え方が変わるため、「木目」たちが更新されるのだ。その特徴はまさに生き物そのものだ。


おや、「木目」を「生き物」と捉えるとあまり怖くなくなってきたぞ。


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